2010年12月18日土曜日

無縁社会より怖い”しがらみ”社会

私は見なかったがNHKで孤独死問題などを扱った「無縁社会」というドキュメンタリー番組が評判だったらしい。
どんな内容か詳しいことはわからないので、私がコメントする資格はないかもしれないが、と言うよりネットを使えばそれなりに情報は集められるはずなのに、ある生理的な”恐怖”を感じてそれすらしないまま「無縁社会」に関して自分の意見をブログに書くことを決意した。この”恐怖”は、おそらくNHKが意図したものとは反対方向のものと思われる。
ひきこもりが増え、結婚しない人が増えると老人になったとき、孤独死する人が増える。孤独死が嫌なら結婚して子供を作りなさい、というふうに国民を情報操作するのが、この番組の目的の一つであるように推定される。そしてネットの書き込みを見るかぎり、NHKが意図したように、多くの若者が孤独死に恐怖を覚えたようだ。
少子化が問題なのは、要するに人口が減れば年金などの人頭税供給者が減り、政府の税収が減るからである。人頭税供給者を増やすために、「産めや増やせや」の情報操作をバブル崩壊後くらいから、この国では強力に推進してきた。
それはともかく、無縁社会を私はそれほど不幸だとは思わない。無縁社会よりもっと怖いのが”しがらみ”社会の復権である。無縁社会をどこまでも否定すると、どうしても頭をもたげてくるのが恐怖の大王、”しがらみ”社会だろう。
昔の日本人は、自分個人で楽しむ娯楽が少なく、娯楽はもっぱら集団で楽しむものが主流だった。旅行は家族旅行や一人旅より、社員旅行の方が圧倒的に豪華だった。ゴルフは会社の付き合いで、半分は仕事だった。
高級料理を食べる機会があるとしたら、家族や友人ではなく、会社の人と会食するときだった。会社の同僚や上司と食事をする場合、何を食べるのか自分で自由に選べないのがつらいところである。上司が何を食べるのか観察してから、まわりの空気を読みながら、自分のメニューを決めなくてはならない。伊丹十三の映画「たんぽぽ」にこのへんのことを扱ったワンシーンがある。
集団で楽しむ娯楽はかえって気を使ってしまい、通常の仕事以上にストレスがたまる。私が昔勤めていた会社で、仕事は楽しくてよくできるが、定時後の飲み会を上司から強要されるのが嫌で、転職した同僚がいた。
もちろん、”しがらみ”が好きな人、あまり気にならない人もいるだろう。そのへんが選択できるようになるとありがたい。

 カルフォルニアのレイク・タホで開催されたTechnomyカンファレンスで、ビル・ゲイツが、今後5年以内にどんな大学よりもすべれた教育リソースがWebから入手できるようになる、という旨の講演を行った。将来、大学は建物を必要としなくなり、通信教育のような形態にすべきだという。学生が同じ場所に集まらなくてはならないのは「パーティーのとき」だけだからだ。一方、ゲイツは中学校、高校は従来通り、生徒は建物に通うべきと主張した。
 私もほぼ同じ意見だが、小学校、中学、高校も、段階的に通信教育を推進してもいいのではと考えている。親類の高校生が”いじめ”にあって登校拒否になり、通信教育を受けている。現在の日本でも高校の通信教育は存在しているが、”いじめ”以前にもっと自由に生徒が通信教育を選択できるようになってもいいのではないか。

在宅勤務などが物理的に今後、ますます可能になってくる。学校だけでなく、職場においても場所や建物に束縛されない形態が増えてきてほしいと思う。

これまでは「無縁社会・引きこもり派」が落ちこぼれで「パーティー・合コン大好き派」が普通だった。だがこれを底上げして、「無縁社会・引きこもり派」が普通で「パーティー・合コン大好き派」がエリートという社会にもっていけないだろうか。


2 件のコメント:

  1. それは言えるわなあ。
    だいたい私が高校から、先生達にいじめられるという事があり、仲間は、悠々と威張っていた、大学いけるから、、、、私は病気になってしまい一生病院に通うはめになった、まあしがらみ嫌い、それから孤独死がいいです。もう嫌です.仲間とか、親とか、兄妹とか、、、。と、これが意見ですよ.分かってね。

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  2. 書き込みありがとうございます。実は多民族国家についてブログで書こうと思っていたところです。21世紀は国際結婚が当たり前になって、人種の区別が無意味になってくるはずです。白人、黒人、黄色人種の区別さえ曖昧になるかもしれません。

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