2013年11月22日金曜日

これからの時代総論 基礎自治体の疑似国家化を提言


これからの時代、まず意識しなくてならないのは為政者性悪説です。
この世にはよい為政者、悪い為政者がいる、という考えも半分は間違っています。
組織の構造自体に問題があります。利権があるところに人が群がり、腐敗が発生します。

左の図は社会階層構造を示したものです。
一番下にはわれわれ一般国民がいます。
その上に国民を支配する政治家・官僚がいます。
さらにその上に政治家・官僚を支配する階層が表示されています。
巨大資本組織とは、第二階層である政治家・官僚を支配できる立場にある巨大な財力を持った組織、または強力な影響を与える圧力団体を指します。
具体的には大企業、財閥、経済団体が含まれます。大企業では特にメガバンクや大手証券会社が巨大資本組織と言えます。株式を通じて企業グループ全体を支配できる立場にあるからです。
この他、巨大な宗教団体のような財力のある非営利組織もここに含まれます。さらには、宗教団体などをフロント組織とした国際麻薬シンジケートや広域暴力団といった裏社会もここに含まれます。
裏社会の構造についてはリチャード・コシミズ氏のブログなどを参照してください。
ところで、なぜ第二階層は第一階層に支配されるのでしょうか。一つには選挙の供託金の問題があります。国民はある年齢に達すると、選挙権や被選挙権を得られます。ただし現実問題として、高額の供託金のため、普通の人は政治家に立候補できません。立候補できるのは、ある程度お金のある人か、上記の巨大資本組織をスポンサーにつけた人のいずれかです。後者であれば、どうしても一般国民のためでなく、スポンサーのために政治を行うことになります。少なくともスポンサーの利益を大きく損なう政治はできないでしょう。また前者の場合、自らが第一階層に所属しているから、選挙資金がある、という場合があります。実際はその両方である場合が多く、一般国民は政治家になれない構造になっています。
本来、民主主義社会の政治家は、世のため人のために働きたいという高尚な志を持った人が立候補すべきであり、普通の人や弱い立場の人を救うための政治を行うべきなのです。ところが選挙のスポンサーである巨大資本組織の顔色をうかがわなくては政治ができない仕組みになっているのです。
これを改善するには供託金をなくすか、極力低くすることが有効と考えます。ただそれだけでは世の中はよくなりません。
ではどうしたらいいのでしょうか。
これまで世の中の富のほとんどは政府を含む巨大組織に集中していました。
組織を小さくすることが大事です。巨大組織の人、物、金をすべてダウンサイジングするのです。
つまり政治家・官僚を支配するような巨大資本組織は作らないことが大事です。
私の提案ですが、治安維持や外交を除いた行政、つまり社会インフラの建設や各種産業の規制や助成は市町村などの基礎自治体に分権するのです(因みに産業の規制や助成は極力なくし、民間に自由にやらせるべきです)。そして市議会議員の半分を、町内会やマンションの理事会のように、あるいは裁判員制度のように、一般市民当番制にするのです。つまり直接民主制です。
当番制議員の主な役割は政府から市民が税金を取られないよう、無駄な行政を廃止することです。つまり血税を使った無駄な”お祭り”や余計な箱物を作らせないことです。
これまで政府は働かなくてもしばらく遊んで暮らせるほど儲けた民間人に目をつけて税金をしぼりとってきました。その一方で上記の第一階層から十分な税金を取ることはしませんでした。
気をつけなければならないのは政府を支配する巨大組織の存在です。こうした組織をすべて解体し、またこうした巨大組織が出現しないよう、累進課税をはじめ様々な規制をすべきです。
若いときにたくさん稼ぎ、早い年齢でリタイアして悠々自適な生活を謳歌することに、モラル的に何らやましいことはないと思います。彼らは政府を支配できません。
私がこんな話をするのも搾取する存在がなくなれば、私たちは今までほど働かなくても、もっと楽に生活できるからだと考えるからです。
その一方で政府を支配し、大手マスコミを使って国民を情報操作する第一階層こそ、モラル的にも危険な存在なのです。


2013年11月12日火曜日

21世紀の国家元首のあり方―天皇制について素人の考察

 さて言論の自由が憲法で謳われているはずのこの国で、最大のタブーになっているテーマの一つに天皇制の議論があります。

 一昔前ですと週刊誌に皇室に関するネガティブな記事が載ると、右翼が出版社の社長宅に銃を撃ったものです。
 政府が公式に不敬罪として告発するには世論が気になるので、こうした非公式の処罰を選んだのでしょう。また公式には、射撃した右翼は政府の命令でやったのでなく、自主的な行動としていますが、本当のところはどうでしょうか。因みに、右翼の方でも社長を射殺するつもりはなく、塀を壊して威嚇するだけというのも、意図的でしょう。
 これが地方自治体の市長となると刑罰の重さが違います。右翼の弾丸は命中し、何人かの市長がこれまで処刑されています。

 ネット時代になって、ある意味、言論の自由は憲法通りに保証されるようになりました。ほとんど誰もアクセスしない、一般庶民のブロガーに対して、右翼の方でも彼ら一人一人にいちいち発砲していたのでは、弾がもったいない、との判断でしょうか。

 ところで天皇制は必要か不要か。まずその歴史的背景はとりあえず無視して、現代日本政治において、天皇制のメリット、デメリットについて考えてみましょう。

 現代の日本の政治体制において、選挙で選ばれた実質的な行政のリーダーである総理大臣と、天皇という世襲の国家元首(誤解を招く言葉ですがここでは英語のsovereignの訳語)が分離しているのは、実は非常に都合がいいのです。

 日本のマスコミは首相に批判的記事を書きますが、天皇に対しては一般的に書きません。政府の批判が少しもできないようでは言論の自由がないということになってしまいますし、ジャーナリストも仕事をしてないといことになってしまいます。国民の側に立って政府がおかしなことをしないよう、見張るのが、本来の政治ジャーナリストの使命だからです。あるいはガス抜きの意味でも政府の批判的記事は効果があるでしょう。だからマスコミは首相を批判するのです。
 
 しかしながら、元首たる天皇まで批判してしまうと、国家体制自体を否定する言論、革命を惹起する言論ということになってしまいます。だからマスコミは天皇を批判しないのです。
 象徴天皇は政治に関与できないから、政治問題は天皇でなく、首相に責任がある、というのがその表向きの理由でしょうか。

 共和国の大統領だとこういうわけにはいきません。大統領自身が国家元首ですから、マスコミが批判をやりすぎたら、治世が揺らぐ懸念があります。かと言って、マスコミが何も批判ができない独裁国家というのも危険です。

 日本の首相の実質的な任期は短く、平均して2年程度でしょうか。4年も持てば長期政権と呼ばれるでしょう。ただ他のG8先進国では4年という時間は大統領や首相の最短任期です。特に問題なければ任期は10年弱ぐらいでしょう。
 日本の首相の任期は短すぎると思いますが、一方で極端な長期政権は腐敗を生み、短期政権以上の弊害をもたらします。そして短期政権で国家体制が維持できるのも、首相が国家元首でないからです。

 ところで天皇の在位期間は即位してから終身ですので、かなり長期になります。外国政府から日本政府を見た場合、元首が短期間で交替していたら、不安になるでしょう。外交関係を安定させるためには国家元首の任期はある程度長い方がいいのです。
 象徴天皇は実質的な政治のリーダーではありません。だから長期政権による腐敗はあまり考えなくてよいのではないでしょうか。

 このように国家元首と行政の実質的リーダーの二重構造は、現代日本の政治にうまく機能していると思います。以下、まとめますと、天皇制の政治的メリットは

①首相のみ批判可にすることで、政治的言論の自由を確保しつつ、治世の安泰(革命が起きない)が図れる
②首相が短期任期の方が政治的腐敗を防げる
③首相が短期任期でも国体の維持が図れる
③天皇の長期終身在位は外国政府との外交関係を安定させる

 さて、今回のブログはここでひとまず終了します。次回以降は天皇制のデメリットやその歴史的背景について考察していきます。 

2013年11月9日土曜日

これからの時代について⑬ スポーツ娯楽産業のダウンサイジング

生活必需品・サービスの対局にあるのが、贅沢品や娯楽品、またはそのサービスです。

生活必需品・サービスを国民が確保することは、行政が優先すべき事項ですが、一方、娯楽に関して血税を使うのはいかがなのものか、と思います。

スポーツも広義の娯楽です。文化や教養は娯楽と区別されることがありますが、これも広義の娯楽だと思います。

ロックは娯楽だが、クラシック音楽は教養であり、ロックより格上の芸術である。こういう価値観を持つのは自由です。でもクラシック音楽もロックと同様、文化保護を名目に、多額の税金を投入して保護するべきではないと思います。伝統芸能も同様です。

近頃、漫画やアニメを監督する第3セクターが出来たようです。私はジャパニーズクールと評される日本の漫画アニメ文化を認めるのにやぶさかではありません。しかしながらこうしたサブカルチャーに対して、血税を使って規制や助成をすべきではありません。行政は口を出さず、そのまま民間を自由に泳がしておけばいいのです。

江戸時代の浮世絵は今でこそ世界的に芸術作品と評価されていますが、当時はサブカルチャーでした。浮世絵が江戸時代、町人たちに人気があったのは、おそらく春画があったからでしょう。これは今の時代のグラビア写真集、ヌード写真集、アダルトビデオに相当する娯楽でしょう。ところが一方で、たとえば写楽の作品ような芸術作品が浮世絵というジャンルの中に混在していたのです。

漫画やアニメも事情は同じです。行政が規制したくなる公序良俗を乱す作品と、行政が助成したくなる優れた芸術作品が混然一体となったサブカルチャーが、漫画やアニメなのです。サブカチャーに税金を使うべきではありません。

税金だけではありません。大企業がスポンサーになって、メセナの名目で多くのスポーツや文化事業が営まれています。しかも通常、それを行政が税制などの形で後押ししています。

会社の保養所を作る金があるくらいなら、社員のボーナスに回すべきなのと同様、本業とは関係ないスポーツ事業に膨大な予算を投入するのは、あきれた道楽でしょう。

プロ野球、プロゴルフ、プロサッカーなど。スポンサー企業が捻出するこれらの膨大な予算は、広報費という名目ですが、それ以上の額であることは明らかです。

「パンとサーカス」や3S政策といった言葉があります。いずれも為政者たちが、国民に娯楽やスポーツに関心を持たせ、政治に関心を持たないようにさせるための愚民化政策です。

マスコミが盛んにスポーツイベントを宣伝するのは、愚民化政策のためなのです。為政者、大手マスコミ、大企業は国民に対する支配階層として裏でつながっているのです。

私はプロスポーツ興業を禁止すべきとは言っていません。税金や大企業からの予算を当てにせず、小規模な自主興業をやる分には問題ありません。それで採算が取れれば興業は存続していけます。現在のインディープロレス団体がこうした形で興業しています。

おそらく為政者たちが国民から関心をそらしたいものに政治以外に、”物作り”、それも生活必需品の”物作り”が重要という考え方があると思います。

だとしたら国民は”物作り”に関心を持ち、また多くの子供たちが将来、プロスポーツ選手より、”物作り”の仕事に就くことに憧れる、といった風潮が望ましいでしょう。

どこの国のアンケートでも、10歳以下の男の子たちの将来なりたい職業を訊くと、プロスポーツ選手が必ずベストテンの上位を占めています。

スター選手は高給取りだから、というのがその理由の一つになっています。確かに彼らが高給取りなのは事実です。しかしながら彼らの年俸がなぜニュースになるのか考えたことはあるでしょうか。

世の中に、スター選手はこんなに儲かるものだと宣伝することで、第一にそのスポーツ自体の人気を高め、第二に才能ある子供たちにもれなくプロスポーツ選手を目指してもらい、その中から次世代のスター選手を排出したい、ということなのでしょう。

つまりスター選手の高額年俸ニュースは、次世代スター選手獲得のための興行主側の長期リクルート計画なのです。スター選手がいないことには興業自体の人気が維持できません。

ところが高額年俸は意外と選手個人で自由に使えないようです。怪我をしたら治療費はすべて自腹だったとか、複数の付き人の給料に自動天引きされるとか、遠征試合の旅費が自腹だったとか、スポーツ選手の愚痴がときどきマスコミに漏れることがあります。つまりマスコミが作り出すスター選手像ほど、現実の選手はいい思いをしていないのです。

繰り返しますが、スポーツ、娯楽、サブカルチャーを私はすべて否定しているわけではありません。
ただ生活必需品の”物作り”にもっと関心を持ち、為政者たちがマスコミを通じて行う愚民化政策を目的とした情報操作に、もっと敏感になるべきだと思います。そして私たちの血税は愚民化政策でなく、”物作り”を支援するために使われるべきです。