生活必需品・サービスを国民が確保することは、行政が優先すべき事項ですが、一方、娯楽に関して血税を使うのはいかがなのものか、と思います。
スポーツも広義の娯楽です。文化や教養は娯楽と区別されることがありますが、これも広義の娯楽だと思います。
ロックは娯楽だが、クラシック音楽は教養であり、ロックより格上の芸術である。こういう価値観を持つのは自由です。でもクラシック音楽もロックと同様、文化保護を名目に、多額の税金を投入して保護するべきではないと思います。伝統芸能も同様です。
近頃、漫画やアニメを監督する第3セクターが出来たようです。私はジャパニーズクールと評される日本の漫画アニメ文化を認めるのにやぶさかではありません。しかしながらこうしたサブカルチャーに対して、血税を使って規制や助成をすべきではありません。行政は口を出さず、そのまま民間を自由に泳がしておけばいいのです。
江戸時代の浮世絵は今でこそ世界的に芸術作品と評価されていますが、当時はサブカルチャーでした。浮世絵が江戸時代、町人たちに人気があったのは、おそらく春画があったからでしょう。これは今の時代のグラビア写真集、ヌード写真集、アダルトビデオに相当する娯楽でしょう。ところが一方で、たとえば写楽の作品ような芸術作品が浮世絵というジャンルの中に混在していたのです。
漫画やアニメも事情は同じです。行政が規制したくなる公序良俗を乱す作品と、行政が助成したくなる優れた芸術作品が混然一体となったサブカルチャーが、漫画やアニメなのです。サブカチャーに税金を使うべきではありません。
税金だけではありません。大企業がスポンサーになって、メセナの名目で多くのスポーツや文化事業が営まれています。しかも通常、それを行政が税制などの形で後押ししています。
会社の保養所を作る金があるくらいなら、社員のボーナスに回すべきなのと同様、本業とは関係ないスポーツ事業に膨大な予算を投入するのは、あきれた道楽でしょう。
プロ野球、プロゴルフ、プロサッカーなど。スポンサー企業が捻出するこれらの膨大な予算は、広報費という名目ですが、それ以上の額であることは明らかです。
「パンとサーカス」や3S政策といった言葉があります。いずれも為政者たちが、国民に娯楽やスポーツに関心を持たせ、政治に関心を持たないようにさせるための愚民化政策です。
マスコミが盛んにスポーツイベントを宣伝するのは、愚民化政策のためなのです。為政者、大手マスコミ、大企業は国民に対する支配階層として裏でつながっているのです。
私はプロスポーツ興業を禁止すべきとは言っていません。税金や大企業からの予算を当てにせず、小規模な自主興業をやる分には問題ありません。それで採算が取れれば興業は存続していけます。現在のインディープロレス団体がこうした形で興業しています。
おそらく為政者たちが国民から関心をそらしたいものに政治以外に、”物作り”、それも生活必需品の”物作り”が重要という考え方があると思います。
だとしたら国民は”物作り”に関心を持ち、また多くの子供たちが将来、プロスポーツ選手より、”物作り”の仕事に就くことに憧れる、といった風潮が望ましいでしょう。
どこの国のアンケートでも、10歳以下の男の子たちの将来なりたい職業を訊くと、プロスポーツ選手が必ずベストテンの上位を占めています。
スター選手は高給取りだから、というのがその理由の一つになっています。確かに彼らが高給取りなのは事実です。しかしながら彼らの年俸がなぜニュースになるのか考えたことはあるでしょうか。
世の中に、スター選手はこんなに儲かるものだと宣伝することで、第一にそのスポーツ自体の人気を高め、第二に才能ある子供たちにもれなくプロスポーツ選手を目指してもらい、その中から次世代のスター選手を排出したい、ということなのでしょう。
つまりスター選手の高額年俸ニュースは、次世代スター選手獲得のための興行主側の長期リクルート計画なのです。スター選手がいないことには興業自体の人気が維持できません。
ところが高額年俸は意外と選手個人で自由に使えないようです。怪我をしたら治療費はすべて自腹だったとか、複数の付き人の給料に自動天引きされるとか、遠征試合の旅費が自腹だったとか、スポーツ選手の愚痴がときどきマスコミに漏れることがあります。つまりマスコミが作り出すスター選手像ほど、現実の選手はいい思いをしていないのです。
繰り返しますが、スポーツ、娯楽、サブカルチャーを私はすべて否定しているわけではありません。
ただ生活必需品の”物作り”にもっと関心を持ち、為政者たちがマスコミを通じて行う愚民化政策を目的とした情報操作に、もっと敏感になるべきだと思います。そして私たちの血税は愚民化政策でなく、”物作り”を支援するために使われるべきです。
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