2012年1月29日日曜日

今どきの戦国武将像に物申す


BSR48選抜総選挙結果発表、1位はやっぱりあのキャラ!・・・「戦国BASARA ファン感謝祭~BSR48開票の宴~」(後編)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1894576&media_id=47

私はカプコンのゲーム「戦国BASARA」をやったことがありません。ゲームをやったことのない人間がコメントする資格はないでしょうが、アニメの第一話を見てどうしても批判したくなりました。

戦国時代に戦国武将は実在しましたが、日本人が抱いている戦国武将個々人のイメージは古くは江戸時代の講談、現代では小説、映画、テレビドラマといったフィクションで形作られたものでしょう。つまり、一般の人が描いている、個々の戦国武将像なるものは、専門の歴史学者の論文ではなく、ベストセラーになった歴史小説や人気ドラマで作られた”偽物”だと思うのです。
そして、ここへきてゲームが、若い世代向けに戦国武将像を構築するフィクションの仲間入りを果たしたというわけです。

したがって、自分が抱いている戦国武将像も本物ではないと頭ではわかっているのですが、「戦国BASARA」はかなりひどい、というのが私の感想です。
ラノベがアニメ化されたり、漫画が実写化されると、キャラクターのイメージが自分のそれとちがうので「僕のXXちゃんじゃない」と文句を言うオタクがいるようです。
それと同じ原理で、「僕の”信玄”じゃない、僕の”幸村”じゃない」という抵抗感が「戦国BASARA」アニメを見たときの私の正直な思いでした。

1.伊達正宗
カプコンには仙台出身者が多いのでしょうか。正宗など、NHK大河ドラマになる以前は、ほとんど取り上げられることのないマイナーな武将のはず。
ただし、同じ隻眼でも正宗は右目が潰れているのに対し、柳生十兵衛はドラマによって潰れている目が右だったり、左だったりと変則的です。武将の方が剣豪より、歴史的資料が多いということでしょうか。

2.信玄と謙信
中学、高校の頃、甲府に住んでいました。当時、甲府では武田信玄の悪口を言うと、村八分にされそうな雰囲気がありました。北朝鮮で金正日の悪口を言うようなものです。
文化祭になると郷土資料研究家が呼ばれ、講演中、ずっと武田信玄を褒め称えます。
毎年、4月になると甲府では信玄祭りが開催されます。お祭りは嫌いではないですが、甲府駅周辺にたちこめる消炎の臭いには閉口します。

こうした状況の反発感から私は信玄が嫌いになり、逆にそのライバル謙信が好きになりました。
子供の頃に読んだ漫画で、武将は軍隊の指揮をするだけで自分は兵として戦わないが、謙信だけは例外で軍の先頭に馬を走らせて戦うという説明がありました。
謙信女性説は、八切止夫が元祖のようですが、八切の小説では謙信はブスに描かれています。もし謙信が女なら、武将ですから男まさりの気の強い女だったにちがいなく、美人とはほど遠いかもしれません。
ただフィクションの世界ですから、「戦国BASARA」のように美人という設定にした方がいいでしょう。

4.織田信長
前に勤めていた会社の社長の尊敬する人は信長、乗っている車はBMW。そういうことから信長とBMWは生理的に嫌いになりました。
フィクションの戦国ドラマには”お約束”がいくつかあります。
川中島の合戦では信玄と謙信が直接、戦うシーンが”お約束”です(史実ではこれはなかったようですが)。
信長の場合、敦盛を舞って「人間五十年・・・」を唄うのが”お約束”です。
黒沢明監督の「影武者」でもNHK大河ドラマ「国取物語」でも、ドラマのここぞというシーンで信長が敦盛を舞います。
信長が嫌いになってからも、ドラマや映画で信長を見るたびに敦盛はいつやるのかを期待して見ている自分がいます。そして敦盛を見ると気分がスカっとします。
信長の敦盛は、プロレスでスタン・ハンセンがラリアットを出したときのような爽快感があります。

5.北条早雲
中年になってから興味を覚えたのが北条早雲と村上水軍です。
北条早雲は若いときはうだつが上がらず、中年になってほとんどゼロの状態からスタートし、殿様にまで出世した人です。まさに中年の星といえるでしょう。
仕事で小田原に出張したとき、小田原城に足を運びました。天守閣から駿河湾が眺望できました。オーシャンビューを考慮した上で早雲は小田原城を建立したはず。早雲のこういうセンスもにくいと思いました。

6.前田慶次
劉慶一郎の時代小説に傾倒していた時期があります。特に傾奇者大名、前田慶次を描いた「一夢庵風流記」が好きです。
時代小説の場合、エリートは司馬遼太郎の読者、苦労人は藤沢周平の読者、オタクは劉慶一郎の読者と、勝手に三分類しています。


7.幸村と佐助
猿飛佐助は忍者だからアクションシーンは許されるが、真田幸村は武将だがらアクションシーンはNGのはず、というのは私だけの偏見でしょうか。
真田十勇士率いる幸村も自ら忍者なみに身が軽い、というのが最近のトレンドかもしれません。













2012年1月22日日曜日

アニメベスト10

子供の頃からアニメはよく見ていた方ですが、ここ10数年間に見たアニメを中心にベスト10を選んでみました。

1. RD潜脳調査室
SFアニメですが、全編に流れる「癒し」のテイストは秀逸です。

2. FLAG
一応、ロボットアニメに分類されますが、ドキュメンタリー風の社会派ドラマ仕立てになっていて、大人向けアニメと言えます。

3. ラーゼフォン
 エヴァの二番煎じとの評価がネットでは定着している一方、「創聖のアクエリオン」をラーゼフォンのパクリとする声はあまりないようです。
個人的には、エヴァ+ライディーンがラーゼフォンで、ラーゼフォン+ゲッターロボがアクエリオンと理解しています。

4. 攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX 「笑い男」シリーズ
 サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の原題は「The Catcher in the Rye」、つまり直訳すると「ライ麦畑のキャッチャー」。
この小説は「笑い男」シリーズで何度も登場します。
「笑い男」のアオイは、再三、野球のキャッチャー役を演じます。アオイは施設の少年野球でもキャッチャーをやっているようで、アイテムとしてキャッチャーミットがよく登場します。
最終回では素子の投げた帽子を、アオイはキャッチャーの構えで受け、帽子をかぶり、つばを後ろにします。つばを後ろにして帽子かぶるのは、野球のキャッチャーのかぶり方です。
作者が意図的にやっているのは明らかですが、まだネットで誰も指摘してないようなので、一番乗りで”アオイ=キャッチャー作者確信犯説”を提唱します。

5. 鴉-KARAS-
タツノコプロ40周年記念作品。ストーリーはやや竜頭蛇尾の感はありますが、ビジュアルが圧巻です。またヒーローの登場シーンが寺山修司的で好感が持てます。 

6. 新世紀エヴァンゲリオン
今となっては古典アニメ。難解なアニメの走りで、ブーム時は解説書まで出版されました。政府の情報操作を扱った世界観もエヴァが最初のようです。
自分の個人的な解釈ですが、”セカンドインパクト”は第二次世界大戦のアナロジーでしょう。
敗戦のショックで、日本人は”お国のため”から、”会社のため”に、己の滅私奉公先を切り替え、50年代後半から70年代前半にかけて高度経済成長を実現しました。
表面的には幸せでも、家族を犠牲にしてでもよく働くこの世代の日本人は、敗戦からある種のトラウマを背負っていたのです。彼らは、戦中派や団塊の世代でしょうか。
一方、戦中派や団塊の世代の子供たちは、戦争を全く知らない世代。物質的な不自由は経験していないものの、社畜と化した非人間的な親に育てられたおかげで、間接的に”セカンドインパクト”のトラウマを背負い、ある種のアダルトチルドレンになってしまったのです。
このアダルトチルドレン世代が大人になったのが90年代以降。トラウマの原因が分かりづらく、個々人でその症状が異なっているものの、”心の渇き”は”セカンドインパクト”を遠因とする世代的なもの。
こうしたメッセージを作者が発しているように思えてなりません。

7. パプリカ
筒井康隆原作のアニメ。主人公は他人の夢の中に入っていくサイコセラピスト。作者はサイバーパンクを意識したのでしょう。ビジュアル的に評価できる作品です。

8. 千と千尋の神隠し
宮崎駿のアニメはわりとよく見ています。作者の説明によると「油屋」は、ソープランドのメタファーとのことですが、健康ランドかスーパー銭湯をモデルにしたものだと思っていました。
日本が複数民族国家であるとする網野善彦的歴史観をベースにした「もののけ姫」の方がいろいろコメントできますが、面白かったのは「千と千尋」の方でしょうか。

9. 攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL
日本のサイバーパンク系アニメはこの作品が原点でしょう。 

10. 電脳コイル
サイバーパンク物をNHKが作ったらこうなった、という感じの作品。金沢(厳密には金沢の近くにある架空の大黒市)を舞台にしたのもNHKテイストと言えます。
このアニメの悪玉は〒マークのサッチー。
郵便局と野村沙知代さんからNHKへクレームが来なかったか、勝手に心配しています。
この作品に出てくる電脳メガネは、近い将来、現実の世界で実用化されそうです。







2012年1月4日水曜日

ケイナー 射手座 2012年 年報

これまでの世界観、様々な組織、そしてある程度の秩序。2012年、他でもない、こうしたものが崩壊していくことに、人々はおそらく恐怖を覚えるでしょう。
何を信じたらいいのか。誰を信じたらいいのか。人々はもはや確信が持てません。
でも実際の恐怖は人々が考えているほどではないし、時間が経てば恐れはゆっくり癒えていくでしょう。
あなたは射手座ですから、他の人より早く回復できます。
今年、あなたは、他人との関係、組織との関係、制度との関係、そして一番重要なのはあなた自身との関係に、何かしら重要なものを見出すからです。
あなたは何ができるのか。あなたはどれほど重要か。あなたはどれくらい、みんなの期待に応えることができるのか。あなたはこれらの答えを見つけるでしょう。
あなたが忠誠心をもって連携すれば、みんなとともに働いて、多くの成功を手にします。もし連携しなければ、このようなときにほとんど不可能と思われるような、そういう成功です。
厳しい限界や制限がある一方で、この狂った年の狂気のただ中に、驚くべきチャンスが自分に巡ってきていることを、あなたは突然、気がつきます。
これはめったにない機会です。そのために必要なものは用意されています。

2011年11月19日土曜日

日本と世界の未来予測⑧(最終回)

10. ”価値観の多様化”は死語に


さて、いよいよ「日本と世界の未来予測」も今回が最終回である。

”価値観の多様化”という語がある。
実は「××白書」といった役所の刊行物でよく使われる語だ。

明治以降、農村から東京へ大量に人口が移動した。
国民が自発的に民族移動をしたというより、日本政府がそのように誘導したというべきだろう。
だがそれに気づいた国民はほとんどいなかった。
おかげで農村は過疎、都市は過密という問題が起きた。

60年代、70年代の大量生産、大量消費時代には、国民のライフスタイルは画一的だった。
みんなが同じときに同じものを買い、同じものを食べ、同じテレビ番組を見て、休日には同じ行楽地へ遊びに行く。
タクシーに乗ると、運転手が昨晩の巨人戦の話を始める。
国民の大半がテレビでその野球中継を見ているので運転手の話題についていける。
こうしたことに国民は疑問を抱かなかった。

ところが80年代ころから国民の覚醒が始まる。
少しずつ自分の意見を主張するようになる。
その頃から「××白書」は”価値観の多様化”という語を使い始めるようになった。

だが”価値観の多様化”とは、ロボトミー状態から抜け出し、本来の人間らしさを取り戻した国民が、政府の情報操作通りに行動せず、自分の真の幸福を模索し始めた状態のことだ。

ネットが普及して様々な情報が入手できるようになると、国民は政府の情報操作に敏感になってくる。
大新聞や地上波テレビの情報を手放しでは信用しなくなっていく。
マスコミのニュースは受け入れる前に、自分の頭でよく考え、咀嚼し、吟味する。
それでもまだ疑惑が残る。
これが21世紀の健全な国民の知性だ。

テレビは国民の情報操作に最適ツールだが、ネットは国民の覚醒に最適ツールだ。
覚醒した国民が、今度は真に幸福な人生と社会を模索していく。
この動きは世界的なものだ。
21世紀の次の10年は、新しい形態の民主主義が到来する社会になるだろう。

  ”Show me what Democracy looks like! This is what Democracy looks like!”

(終わり)

日本と世界の未来予測⑦

9. 特許からオープンソースへ

21世紀は特許からオープンソースへ、コピーライトからコピーレフトへソフトウェアが移行していくのかもしれない。

そもそも特許は、発明者にある程度の報酬を与えるためにできた法律だった。
だが一定期間が過ぎると、特許に申請した技術は人類共有の財産となり、発明者の独占権は消える。
永遠に発明者に技術の独占権を与えていては、技術の進歩は滞る、という考えが特許法の立案者にもあったと思う。
現行の特許法では出願から20年間、特許は有効だ。だがドッグイヤーで進化するIT業界では20年は長すぎる。20年間、発明者にしか無償で新技術を使えないのは痛い。

そこでオープンソースという考えが普及してきた。

オープンソースの開発者はソースコードの独占権を放棄する代わりに、利用者にも独占権を放棄してもらう。
利用者は開発者の了承を得ることなく、自由にオリジナルのソースコードを改良できるが、改良したソースコードもまた、オープンソースにしなくてはならない。つまり独占的利用権はない。
オリジナルの開発者は利用者がバージョンアップしたソースコードを無償で利用でき、お相子になる。発明のマイナーチェンジを許すことで、技術進歩はまたしても加速する。
最初はソフトウェアだけだったが、あらゆる工業製品はCADで設計する時代である。ハードウェアの設計情報もソフトウェア化し、オープンソースの考えが普及している。

すぐれたソースコードは人類共通の財産にすることで、技術は急速に進化していく。
技術のオープンソース化は特に後進国が先進国に追いつくのに役立つ。
だからいくつかの米国企業は、アフリカへのODAなどと同じような社会貢献目的で、オープンソースの普及に尽力している。

特許がすぐなくなるとは思えないが、21世紀後半までには多くの発明者が特許を放棄し、オープンソース化するのではないかと思われる。

芸術作品の著作権についても同じことが言えるかもしれない。
ネットでは同人誌の二次小説、二次漫画などという言葉をよく目にする。小説や漫画のオープンソース化といったところか。
そもそも古代の神話や伝承はオープンソース物語だった。小説の著者が著作権を主張するようになったのは近代小説からだろう。改訂版のベルヌ条約は1971年にできたとのこと。

ネットのおかげであらゆるソフトウェアが無償化または低価格化した。PCのプログラム、ニュース記事、音楽、映像、アニメ、ゲーム、そして書籍…。

オープンソースは工業製品から芸術作品まで、人類のあらゆる創造物を人類の共有財産にしていくことで、特定の階層でなく、人類全体を豊かにしてくシステムかもしれない。

(続く)



日本と世界の未来予測⑥

7. 日本とアジアを飛躍させる飛行艇産業

戦前、日本は飛行艇の生産技術で世界最高水準にあった。飛行艇だけでなく、陸上機においても同様だった。
レシプロ式戦闘機の高い性能がそれを証明している。
だが戦後、米国からの圧力で日本は飛行機を作れなくなった。日本に優れた戦闘機を作られては勢力均衡上、または地政学上、よくないと判断したのだろうか。
ところがここへきて、準国産ボーイング787が出来るなど、宗主国米国からようやくお許しが出たようだ。

さて、飛行艇だが、もともと陸上機と比較して機体が重いなどの欠点があり、廃れてしまった経緯がある。だが飛行場を建設しなくていいことから、島国日本では、大きな利用価値が期待されている。
飛行艇は生産するだけでなく、利用しても日本に経済効果をもたらす。

現在、ロシアではジェットエンジンの飛行艇がある。
また水陸両用で飛行場に車輪を出して離発着できる飛行艇もある。
さらには、スペースシャトルは飛行艇の方が作りやすいという意見もあるようだ。
技術大国日本が全力で飛行艇開発に取り組めば、世界最高水準を奪回するまで、それほど時間はかからない。

飛行艇は離島への物資の輸送によく使われる。飛行場のない離島へは陸上機は使えず、ヘリコプターや船舶ではスピードが遅いということだろうか。
海底ケーブルで離島でもインターネットが利用できるようになった昨今、後は物資の供給が十分になれば、離島に住むことのハンディーキャップは大幅に減るはずだ。

これまで過疎地だった離島の人口が増え、それなりに経済発展すればどうだろう。もともと自然環境には恵まれた地域だけにGDPだけでは評価できない豊かさを住人たちは満喫できるはずだ。
飛行艇製造工場をこうした離島に作ってもいいかもしれない。
いずれにせよ、飛行艇はこれまで交通網が確立されていなかった地域を結ぶのに使うべきだ。

たとえば、今後、東アジア共同体が活性化し、特に朝鮮半島(このブログで私は南北朝鮮統一国家を予測した)と国交が正常化すれば、佐渡は日本海貿易のハブ基地として発展できる。
佐渡から飛行艇を飛ばし、ウラジオストック、朝鮮半島、大連などを日本海側の諸地域と結びつけるのである。日本海側は太平洋側にくらべ、これまで産業が遅れていた地域である。
小樽、秋田、山形、北陸(特に新潟)、山陰、福岡まで、佐渡発飛行艇のおかげで経済発展できる。

同じことが沖縄にも言える。沖縄は上海、香港、シンガポール、東南アジア、台湾、そして九州まで沖縄発飛行艇が人と物資を運ぶのである。沖縄はアジア経済のハブ基地となる。

日本以外ではインドネシアやミクロネシアが飛行艇の恩恵を被るだろう。


8. 官主導ガラパゴスから民主導ジャパニーズクールへ

日本のエレクトロニクス業界を”ガラパゴス”と最初に揶揄したのは野村総研だったと思う。
iモードやワンセグのように、日本の携帯電話は、海外にない日本独自のインフラや業界標準があり、それなりに発展しているが、世界市場へ製品を輸出するときにこれが足かせになる。
輸出するには世界標準を採用しなければ不利だ。
だから世界市場では例えばアップルのiPhoneのようなスマートファンに勝てない。
iモードやワンセグはどんなに発展していても、外国では使えない。まるでガラパゴス諸島の島内だけに生息する動植物のようだ。
これが”ガラパゴス”の意味である。

野村総研は悪い意味でこの語を使ったのだが、よい意味で使われることもあるようだ。
日本の漫画やアニメ、ゲーム、それに付随するコスプレなどのオタク文化は、日本独自のものでありながら海外では”ジャパニーズクール”などと呼ばれ、高い評価を受けている。
だから”ガラパゴス”は悪くない、という意見もある。

結論から言えば、今後、官僚主導のガラパゴスはだめで、民間主導のガラパゴスはジャパニーズクールに化ける可能性を秘めていると思う。

次世代インフラは何が業界標準になるか正確には予想できない。予想できないにも関わらず官僚が税金を投入して投資するのはリスクが高すぎる。ここは自己責任で民間企業に自由に泳がせ、様子を見た方がいい。

中国が髭剃り付携帯電話を作った。”何を作るか”について民間に自由に任せれば、今後、こういったサブカルチャーエレクトロニクスが中小企業から出てくる可能性がある。そのうちのほとんどが消滅するかサブカルチャー止まりだろうが、ごくまれに産業のメインストリームになりそうな技術が出てくる。
ここで初めて官僚の出番である。民間発のメインストリーム候補の技術について、税金を投入して支援していけばいい。”選択と集中”とはこのことだ。

(続く)