2011年11月19日土曜日

日本と世界の未来予測⑧(最終回)

10. ”価値観の多様化”は死語に


さて、いよいよ「日本と世界の未来予測」も今回が最終回である。

”価値観の多様化”という語がある。
実は「××白書」といった役所の刊行物でよく使われる語だ。

明治以降、農村から東京へ大量に人口が移動した。
国民が自発的に民族移動をしたというより、日本政府がそのように誘導したというべきだろう。
だがそれに気づいた国民はほとんどいなかった。
おかげで農村は過疎、都市は過密という問題が起きた。

60年代、70年代の大量生産、大量消費時代には、国民のライフスタイルは画一的だった。
みんなが同じときに同じものを買い、同じものを食べ、同じテレビ番組を見て、休日には同じ行楽地へ遊びに行く。
タクシーに乗ると、運転手が昨晩の巨人戦の話を始める。
国民の大半がテレビでその野球中継を見ているので運転手の話題についていける。
こうしたことに国民は疑問を抱かなかった。

ところが80年代ころから国民の覚醒が始まる。
少しずつ自分の意見を主張するようになる。
その頃から「××白書」は”価値観の多様化”という語を使い始めるようになった。

だが”価値観の多様化”とは、ロボトミー状態から抜け出し、本来の人間らしさを取り戻した国民が、政府の情報操作通りに行動せず、自分の真の幸福を模索し始めた状態のことだ。

ネットが普及して様々な情報が入手できるようになると、国民は政府の情報操作に敏感になってくる。
大新聞や地上波テレビの情報を手放しでは信用しなくなっていく。
マスコミのニュースは受け入れる前に、自分の頭でよく考え、咀嚼し、吟味する。
それでもまだ疑惑が残る。
これが21世紀の健全な国民の知性だ。

テレビは国民の情報操作に最適ツールだが、ネットは国民の覚醒に最適ツールだ。
覚醒した国民が、今度は真に幸福な人生と社会を模索していく。
この動きは世界的なものだ。
21世紀の次の10年は、新しい形態の民主主義が到来する社会になるだろう。

  ”Show me what Democracy looks like! This is what Democracy looks like!”

(終わり)

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