21世紀半ばまでには、おそらく、主権国家の時代は終わっているかもしれない。
代わりに国の外枠と内枠が強化されると思われる。
日本は国連に所属する。東アジア共同体にも所属している。これが日本の外枠である。
一方、日本は都道府県を含み、都道府県は市町村を含んでいる。これが日本の内枠である。
国連ないしそれに代わる世界政府は、これまでより権力を持ち、ある程度まで国の主権を制限していく。ただし、国を絶対的に支配する力はない。
東アジア共同体も然りである。
EUが単なる経済的”条約”から、統一政府の大統領を選出するまでに至った。これは将来的に単一国家的に活動したい、という思惑があるからだろう。
だとしたら東アジア共同体にも統一政府と大統領が必要になるかもしれない。そうなれば、日本の主権は東アジア共同体にある程度、制限される。
これが外枠の話である。
一方、内枠でも同じことが言える。
今後、都道府県から道州制が導入されるという話がある。
州には都道府県よりも権限が与えられるのだろう。半独立国家である。
州と国で見解が異なれば、すべて国が州ねじ伏せる、というわけにはいかない。法律で定めた範囲内でしか、州を取り締まれない。これは現行の国と国連の関係にやや近い。
一方、市町村と州の関係も同様である。市町村の意見を州がすべて制限してはいけない。
各地方自治体がばらばらの意見を言えば、収集がつかなくなる、という意見もあるかもしれないが、要は程度の問題だろう。
常任理事国が国連に運営するように、市長が州議員に、州知事が国会議員や閣僚になる仕組みを作れば、地方自治体の意見が尊重される。
これが内枠の話である。
自治体の最少単位である市町村だが、市議会議員を町内会やマンションの理事会のように、あるいは裁判員制度のように、市議会議員ないし、それより小さい町議会議員を、当番制で国民に担わせるという制度を私は提言したい。
国全体の問題ではなく、自分の住んでいる地域の問題だから、たとえば原発を近所に建設するのは反対だというように、一般市民も意見が言えるだろう。
直接民主制である。
さらにはネットを使った国民投票制を活性させ、たとえばTPP賛成か反対かを国会ではなく、国民投票で決めるのである。選挙でしか意思表示のできない民主主義よりは、よほど理にかなっていると思うのだ。
オキュパイウォールストリートの言葉で言えば、これこそが”This is what Democracy looks like”である。
そしてまた、こうした直接民主制の導入に備え、小中学校の義務教育の段階で、国民は十分な政治教育を受ける。いつ自分が当番制”政治家”になっても困らないためだ。
21世紀中には人々は国民というアイデンティティーから様々な意味で解放されると思うが、政治面では国の外と内に包囲網を作ることでそれが実現される。
これは国の暴走を抑えるシステムと言える。
しかしそれでいながら、国の権威は消滅するのではなく、外枠、内枠にくらべ、依然として強固な最終意思決定機関である必要もあるだろう。
(続く)
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