日本の企業には、組織のために自分が犠牲になることを美徳と考える人がいます。
でも先ほどの覗き見の話はどうでしょうか。
上司の命令で泣く泣く痴漢の片棒を担がされ、奴隷のように耐えるのが本当に美徳でしょうか。
「嫌だったら、早く出世して平社員を脱出し、管理職になることだ」
日本企業の若い社員の中には、こんな”支配階層”が発したプロパガンダを本気で信じ、鬼畜の奴隷労働に耐え忍んでいる人が多いと思います。
いや、企業によってはこういう社員の方が多数派かもしれません。
あなたを奴隷のように支配している人たちは、あなたが独立して一人歩きしないように、つまり奴隷状態のままでいるために、常にあなたを騙す必要があるのです。
あなたを支配している人たちの存在に気づいてください。彼らはあなたの勤め先にもいますし、国家にもいます。さらには国際社会にもいるわけです。
そもそも温泉愛好会でもあるまいし、企業に社員旅行は必要でしょうか。無駄な予算があるなら、社員のボーナスに回して然るべきです。
大企業の保養所を見るたび、私は保養所を建設した予算を社員に回して、彼らを”ウサギ小屋”よりもう少しましな家に住まわせたらどうか、と思うのです。
私が住んでいる街の駅前の路地には、小さな古ぼけた個人商店街があります。とても狭くて中に入る気がしない飲食店が並び、店主の家族はその二階に住んでいます。
店主は老人ばかりで、次々に閉店しているようです。
一方、某国立大学の建物は無人の教室が余っています。半分を学生が使い、残りを放送大学に貸しています。それでもまだ誰も使わない教室がいくつもあります。
大学にこうした無駄な空間がある一方、路地裏の個人商店街は商売をするための満足なスペースが得られません。
余ったスペースをスペースが必要な人に利用してもらうことはできないでしょうか。
不動産やスペースの問題を考えるにつけ、明らかにこの国の富の分配のやり方は間違っていると思うのです。
すべては組織または巨大組織を個人より優先する社会構造に問題があるのです。
そこでこれを改善するのがダウンサイジングというわけです。
(つづく)
2013年3月19日火曜日
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