以前、こういうニュースがありました。
某大企業の社員旅行で、男性社員が集団で、女性社員が入っている女湯を覗き見した、という事件がありました。
正確なことは覚えてないのですが、朝のテレビでニュース解説者が、こういうのは大抵、上司や先輩から命ぜられて、新人社員が覗き見を片棒を担がされるものだ、と語っていました。
ニュースの真相・詳細はわかりませんが、もしこの解説者の通りだとすると、覗き見を命じられた新人社員たちは、女性社員同様、ある意味、この事件の被害者ということになります。
だとしたら、覗き見を命じた上司や先輩が悪い、ということで思考停止してしまうのが日本社会の常ですが、私はもう一歩踏み込んで、組織または巨大組織を個人よりも優遇する、社会の構造そのものが諸悪の根源と考えます。
ここまで極端な例はともかくとして、上司や先輩から不正とわかっている仕事を命じられたり、不正とまでいかなくとも、とてつもなく馬鹿げた仕事を上から命じられることは、どこの企業、組織にもあるのではないでしょうか。
70年代であれば、覗き見などという民度の低い事件は中小零細企業の話であって、エリート集団である大企業や公務員には無縁の話だ、で済んでしまうところですが、むしろ普段から精神的に追い込まれているエリート集団こそ、とてつもなく恐ろしいことが起きやすい、というのが私の意見です。
現にこの覗き見事件は大企業の話なのです。
覗き見を命じられた新人社員も会社などに勤めず、上司や先輩のいない農家や自営業や商店の店主だったら、こんな思いもしなくて済んだはずです。
なぜ彼は会社に勤めたのでしょうか。
第一に農家、自営業、商店の店主の仕事に就くことが難しかったこと。
第二に農家、自営業、商店の店主より、一般に企業のサラリーマン、それも大企業のサラリーマンの方が将来的に暮らし向きがよさそうなこと。
これは日本の教育が、農家、自営業、商店の店主より、公務員や会社員といった”巨大組織の奴隷”を養成することを想定したものであることや、大企業や巨大組織に世の中の富が集中するような経済構造を国が想定していることなどが考えられます。
大企業や役所でなければ、巨大なプロジェクトを実行できません。
しかしながら技術革新により、一昔前の巨大プロジェクトは、現在ではより小さいプロジェクト、つまり人、物、金が小さくても実行できるようになりました。
トラックやクレーン車のない時代に大阪城や江戸城は建設されました。
今でも大阪城や江戸城のような大きさの建造物を建設しようとすれば、ビッグプロジェクトでしょうが、それでも当時よりはかなり小さなプロジェクトになるでしょう。
技術革新によるプロジェクトのダウンサイジングは肉体労働系ばかりではありません。コンピュータの発達により、頭脳労働系の仕事もダウンサイジングします。さらにはロボットの導入で精密作業やあらゆる雑務を無人化できます。
これまで100人でやっていた仕事を10人で。10人でやっていた仕事を1人で。そしてしばらくすれば100人でやっていた仕事を1人でできるようになります。
大企業にしかできなかった仕事を中小零細企業が受け持ち、中小零細企業がやっていた仕事を個人事業者が受け持つようになります。
これが私が提唱するダウンザイングです。
(つづく)
2013年3月19日火曜日
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