2. リバタリアニズムとリベラリズム
さて、クルーソー主義の政治的側面について説明します。
米国で政治的イデオロギーについて議論する場合、リバタリアニズムとリベラリズムが2大潮流になるようです。
リバタリアニズムは他者の権利を侵害しないかぎり、政府は国民の生活に干渉すべきでない、という思想です。治安を維持するために警察がいて、殺人や窃盗は罰せられますが、こうした犯罪の取り締まり以外は自由です。
これに対し、リベラリズムは修正資本主義です。共産主義とは違い、私有物は認められますが、富を公正に分配すべく、政府が国民の経済や生活に細かく干渉します。
クルーソー主義は第一にクルーソー主義的社会実現のためにリベラリズムを採用します。第二に政府の意思決定に影響力を及ぼすあらゆる巨大組織に対してもリベラリズムを採用します。一方、そうではない一般の国民に対してはリバタリアニズムを採用します。
ここで言う巨大組織とは大企業のような民間組織、宗教法人や学校法人などの非営利組織、第三セクターのような半官半民組織、独立行政法人のような国営組織を指します。これらの組織は必要以上に巨大化したら、原則として政府の力で解体または縮小します。
解体や縮小がふさわしくない場合は、その組織が政府を支配しないよう警戒します。
また政府自身も小さくすることが望ましいのです。
一方で、政府を動かすほどの資金はないが、働かなくても遊んで暮らせる人に目をつけ、高い税は取りません。彼らに対して政府はリバタニアニズムで対応します。
本来、民主主義は公正な選挙で政治家が選ばれるべきです。政治家は世のため人のために貢献しようという志を持った人がなるべきです。
ところが豊富に資金を持った巨大組織が政治家と癒着し、政治家を支配しているのが、今の社会の現実です。こうした状況では政治家は世のため人のためではなく、スポンサーである巨大組織のためにしか働きません。
贈収賄の規制の法律をいくら作っても効果はありません。巨大組織の存在そのものが問題なのです。
では巨大組織、たとえば世の中から大企業がなくなり、中小零細企業だけになっても、国民は現在の生活や消費活動を維持できるのか、と疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。
その質問に対する私の回答はこうです。100%ではないが、70~80%イエス。クルーソー主義の究極的姿は、あらゆる製造業で、1人の工場オーナー労働者が生産できる社会です。
70~80%がイエスと言うのは現時点の生産技術を踏まえた数字です。最終的に存続すべき巨大組織は残るかも知れませんが、生産技術を開発すれば、100%イエスに近づくことも可能だと信じます。
2014年3月23日日曜日
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