2014年3月9日日曜日

勲章不要論

勲章は原則として廃止すべきである、というお話をします。

ノーベル賞、文化勲章、国民栄誉賞・・・・。何らかの形で公的資金を使う勲章は廃止すべきです。

憲法では思想の自由が保証されていますが、公的機関が勲章を誰かに与えることは価値観の押し付けや何らかの情報操作が含まれています。

勲章の政治利用について考えてください。たとえばノーベル平和賞は中東問題でアラブ側でなく、イスラエル側に有利な仕事をした人に与えられます。

私に言わせれば、ある意味、世界平和と真逆の活動した人がノーベル平和賞を受賞しているのです。イスラエルはパレスチナ人を含め、多くのアラブ人を殺戮しています。

自然科学系の賞は政治利用と直接関係ないように思われますが、新エネルギーの開発研究は石油メジャーの妨害でなかなか日の目を見ません。

また政府やマスコミがスポーツ選手を褒め称える場合は、3S政策、あるいは愚民化政策について警戒する必要があります。この世で本当に役に立つ仕事は生活必需物資の”ものづくり”です。スポーツ自体は何の生産性もありません。

勲章のための公的資金は、生活保護など社会的弱者の福祉政策の資金に回すべきです。

一方、民間企業が公的資金を使わず、誰かを表彰するのは自由です。たとえば雑誌が懸賞論文や懸賞小説を公募し、当選者に賞金を与えるのは、公的資金でなく、雑誌の出版社の費用なので問題ありません。
先ほどのスポーツ選手の件ですが、これも民間企業がスポンサーになって表彰するのは問題ありません。
また言論の自由ですから、ジャーナリストが誰かを評価したり、批判したりするのは自由です。

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みなさんは集会が好きでしょうか。また集会で他人が長々とほめられているのを聞いているのは楽しいでしょうか。

私の答えはどちらもNOです。集会は大嫌い。他人がほめられている現場に立ち会うのもいい気分はしません。

では自分がほめられるのはどうでしょう。確かに自分がほめられるのはうれしいものです。

そうは言っても、たとえば自分が勲章を受章した場合、仰々しい集会が開かれ、偉い人が長々と口上を述べ、長時間儀式に付き合わされた上で表彰される、というのも、たとえどんなに名誉なことでも私には苦痛です。

一言、「あなたはすばらしい」とだけ言ってもらえる方が、私はうれしいです。

世のため、人のためになる仕事を自分がした、と実感できるのはうれしいですが、政治家や役人からほめられるためにやったのではない、という思いもあり、勲章はありがたくありません。

こうしたことから、私は勲章は不要だと考えます。






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