2013年11月22日金曜日

これからの時代総論 基礎自治体の疑似国家化を提言


これからの時代、まず意識しなくてならないのは為政者性悪説です。
この世にはよい為政者、悪い為政者がいる、という考えも半分は間違っています。
組織の構造自体に問題があります。利権があるところに人が群がり、腐敗が発生します。

左の図は社会階層構造を示したものです。
一番下にはわれわれ一般国民がいます。
その上に国民を支配する政治家・官僚がいます。
さらにその上に政治家・官僚を支配する階層が表示されています。
巨大資本組織とは、第二階層である政治家・官僚を支配できる立場にある巨大な財力を持った組織、または強力な影響を与える圧力団体を指します。
具体的には大企業、財閥、経済団体が含まれます。大企業では特にメガバンクや大手証券会社が巨大資本組織と言えます。株式を通じて企業グループ全体を支配できる立場にあるからです。
この他、巨大な宗教団体のような財力のある非営利組織もここに含まれます。さらには、宗教団体などをフロント組織とした国際麻薬シンジケートや広域暴力団といった裏社会もここに含まれます。
裏社会の構造についてはリチャード・コシミズ氏のブログなどを参照してください。
ところで、なぜ第二階層は第一階層に支配されるのでしょうか。一つには選挙の供託金の問題があります。国民はある年齢に達すると、選挙権や被選挙権を得られます。ただし現実問題として、高額の供託金のため、普通の人は政治家に立候補できません。立候補できるのは、ある程度お金のある人か、上記の巨大資本組織をスポンサーにつけた人のいずれかです。後者であれば、どうしても一般国民のためでなく、スポンサーのために政治を行うことになります。少なくともスポンサーの利益を大きく損なう政治はできないでしょう。また前者の場合、自らが第一階層に所属しているから、選挙資金がある、という場合があります。実際はその両方である場合が多く、一般国民は政治家になれない構造になっています。
本来、民主主義社会の政治家は、世のため人のために働きたいという高尚な志を持った人が立候補すべきであり、普通の人や弱い立場の人を救うための政治を行うべきなのです。ところが選挙のスポンサーである巨大資本組織の顔色をうかがわなくては政治ができない仕組みになっているのです。
これを改善するには供託金をなくすか、極力低くすることが有効と考えます。ただそれだけでは世の中はよくなりません。
ではどうしたらいいのでしょうか。
これまで世の中の富のほとんどは政府を含む巨大組織に集中していました。
組織を小さくすることが大事です。巨大組織の人、物、金をすべてダウンサイジングするのです。
つまり政治家・官僚を支配するような巨大資本組織は作らないことが大事です。
私の提案ですが、治安維持や外交を除いた行政、つまり社会インフラの建設や各種産業の規制や助成は市町村などの基礎自治体に分権するのです(因みに産業の規制や助成は極力なくし、民間に自由にやらせるべきです)。そして市議会議員の半分を、町内会やマンションの理事会のように、あるいは裁判員制度のように、一般市民当番制にするのです。つまり直接民主制です。
当番制議員の主な役割は政府から市民が税金を取られないよう、無駄な行政を廃止することです。つまり血税を使った無駄な”お祭り”や余計な箱物を作らせないことです。
これまで政府は働かなくてもしばらく遊んで暮らせるほど儲けた民間人に目をつけて税金をしぼりとってきました。その一方で上記の第一階層から十分な税金を取ることはしませんでした。
気をつけなければならないのは政府を支配する巨大組織の存在です。こうした組織をすべて解体し、またこうした巨大組織が出現しないよう、累進課税をはじめ様々な規制をすべきです。
若いときにたくさん稼ぎ、早い年齢でリタイアして悠々自適な生活を謳歌することに、モラル的に何らやましいことはないと思います。彼らは政府を支配できません。
私がこんな話をするのも搾取する存在がなくなれば、私たちは今までほど働かなくても、もっと楽に生活できるからだと考えるからです。
その一方で政府を支配し、大手マスコミを使って国民を情報操作する第一階層こそ、モラル的にも危険な存在なのです。


2013年11月12日火曜日

21世紀の国家元首のあり方―天皇制について素人の考察

 さて言論の自由が憲法で謳われているはずのこの国で、最大のタブーになっているテーマの一つに天皇制の議論があります。

 一昔前ですと週刊誌に皇室に関するネガティブな記事が載ると、右翼が出版社の社長宅に銃を撃ったものです。
 政府が公式に不敬罪として告発するには世論が気になるので、こうした非公式の処罰を選んだのでしょう。また公式には、射撃した右翼は政府の命令でやったのでなく、自主的な行動としていますが、本当のところはどうでしょうか。因みに、右翼の方でも社長を射殺するつもりはなく、塀を壊して威嚇するだけというのも、意図的でしょう。
 これが地方自治体の市長となると刑罰の重さが違います。右翼の弾丸は命中し、何人かの市長がこれまで処刑されています。

 ネット時代になって、ある意味、言論の自由は憲法通りに保証されるようになりました。ほとんど誰もアクセスしない、一般庶民のブロガーに対して、右翼の方でも彼ら一人一人にいちいち発砲していたのでは、弾がもったいない、との判断でしょうか。

 ところで天皇制は必要か不要か。まずその歴史的背景はとりあえず無視して、現代日本政治において、天皇制のメリット、デメリットについて考えてみましょう。

 現代の日本の政治体制において、選挙で選ばれた実質的な行政のリーダーである総理大臣と、天皇という世襲の国家元首(誤解を招く言葉ですがここでは英語のsovereignの訳語)が分離しているのは、実は非常に都合がいいのです。

 日本のマスコミは首相に批判的記事を書きますが、天皇に対しては一般的に書きません。政府の批判が少しもできないようでは言論の自由がないということになってしまいますし、ジャーナリストも仕事をしてないといことになってしまいます。国民の側に立って政府がおかしなことをしないよう、見張るのが、本来の政治ジャーナリストの使命だからです。あるいはガス抜きの意味でも政府の批判的記事は効果があるでしょう。だからマスコミは首相を批判するのです。
 
 しかしながら、元首たる天皇まで批判してしまうと、国家体制自体を否定する言論、革命を惹起する言論ということになってしまいます。だからマスコミは天皇を批判しないのです。
 象徴天皇は政治に関与できないから、政治問題は天皇でなく、首相に責任がある、というのがその表向きの理由でしょうか。

 共和国の大統領だとこういうわけにはいきません。大統領自身が国家元首ですから、マスコミが批判をやりすぎたら、治世が揺らぐ懸念があります。かと言って、マスコミが何も批判ができない独裁国家というのも危険です。

 日本の首相の実質的な任期は短く、平均して2年程度でしょうか。4年も持てば長期政権と呼ばれるでしょう。ただ他のG8先進国では4年という時間は大統領や首相の最短任期です。特に問題なければ任期は10年弱ぐらいでしょう。
 日本の首相の任期は短すぎると思いますが、一方で極端な長期政権は腐敗を生み、短期政権以上の弊害をもたらします。そして短期政権で国家体制が維持できるのも、首相が国家元首でないからです。

 ところで天皇の在位期間は即位してから終身ですので、かなり長期になります。外国政府から日本政府を見た場合、元首が短期間で交替していたら、不安になるでしょう。外交関係を安定させるためには国家元首の任期はある程度長い方がいいのです。
 象徴天皇は実質的な政治のリーダーではありません。だから長期政権による腐敗はあまり考えなくてよいのではないでしょうか。

 このように国家元首と行政の実質的リーダーの二重構造は、現代日本の政治にうまく機能していると思います。以下、まとめますと、天皇制の政治的メリットは

①首相のみ批判可にすることで、政治的言論の自由を確保しつつ、治世の安泰(革命が起きない)が図れる
②首相が短期任期の方が政治的腐敗を防げる
③首相が短期任期でも国体の維持が図れる
③天皇の長期終身在位は外国政府との外交関係を安定させる

 さて、今回のブログはここでひとまず終了します。次回以降は天皇制のデメリットやその歴史的背景について考察していきます。 

2013年11月9日土曜日

これからの時代について⑬ スポーツ娯楽産業のダウンサイジング

生活必需品・サービスの対局にあるのが、贅沢品や娯楽品、またはそのサービスです。

生活必需品・サービスを国民が確保することは、行政が優先すべき事項ですが、一方、娯楽に関して血税を使うのはいかがなのものか、と思います。

スポーツも広義の娯楽です。文化や教養は娯楽と区別されることがありますが、これも広義の娯楽だと思います。

ロックは娯楽だが、クラシック音楽は教養であり、ロックより格上の芸術である。こういう価値観を持つのは自由です。でもクラシック音楽もロックと同様、文化保護を名目に、多額の税金を投入して保護するべきではないと思います。伝統芸能も同様です。

近頃、漫画やアニメを監督する第3セクターが出来たようです。私はジャパニーズクールと評される日本の漫画アニメ文化を認めるのにやぶさかではありません。しかしながらこうしたサブカルチャーに対して、血税を使って規制や助成をすべきではありません。行政は口を出さず、そのまま民間を自由に泳がしておけばいいのです。

江戸時代の浮世絵は今でこそ世界的に芸術作品と評価されていますが、当時はサブカルチャーでした。浮世絵が江戸時代、町人たちに人気があったのは、おそらく春画があったからでしょう。これは今の時代のグラビア写真集、ヌード写真集、アダルトビデオに相当する娯楽でしょう。ところが一方で、たとえば写楽の作品ような芸術作品が浮世絵というジャンルの中に混在していたのです。

漫画やアニメも事情は同じです。行政が規制したくなる公序良俗を乱す作品と、行政が助成したくなる優れた芸術作品が混然一体となったサブカルチャーが、漫画やアニメなのです。サブカチャーに税金を使うべきではありません。

税金だけではありません。大企業がスポンサーになって、メセナの名目で多くのスポーツや文化事業が営まれています。しかも通常、それを行政が税制などの形で後押ししています。

会社の保養所を作る金があるくらいなら、社員のボーナスに回すべきなのと同様、本業とは関係ないスポーツ事業に膨大な予算を投入するのは、あきれた道楽でしょう。

プロ野球、プロゴルフ、プロサッカーなど。スポンサー企業が捻出するこれらの膨大な予算は、広報費という名目ですが、それ以上の額であることは明らかです。

「パンとサーカス」や3S政策といった言葉があります。いずれも為政者たちが、国民に娯楽やスポーツに関心を持たせ、政治に関心を持たないようにさせるための愚民化政策です。

マスコミが盛んにスポーツイベントを宣伝するのは、愚民化政策のためなのです。為政者、大手マスコミ、大企業は国民に対する支配階層として裏でつながっているのです。

私はプロスポーツ興業を禁止すべきとは言っていません。税金や大企業からの予算を当てにせず、小規模な自主興業をやる分には問題ありません。それで採算が取れれば興業は存続していけます。現在のインディープロレス団体がこうした形で興業しています。

おそらく為政者たちが国民から関心をそらしたいものに政治以外に、”物作り”、それも生活必需品の”物作り”が重要という考え方があると思います。

だとしたら国民は”物作り”に関心を持ち、また多くの子供たちが将来、プロスポーツ選手より、”物作り”の仕事に就くことに憧れる、といった風潮が望ましいでしょう。

どこの国のアンケートでも、10歳以下の男の子たちの将来なりたい職業を訊くと、プロスポーツ選手が必ずベストテンの上位を占めています。

スター選手は高給取りだから、というのがその理由の一つになっています。確かに彼らが高給取りなのは事実です。しかしながら彼らの年俸がなぜニュースになるのか考えたことはあるでしょうか。

世の中に、スター選手はこんなに儲かるものだと宣伝することで、第一にそのスポーツ自体の人気を高め、第二に才能ある子供たちにもれなくプロスポーツ選手を目指してもらい、その中から次世代のスター選手を排出したい、ということなのでしょう。

つまりスター選手の高額年俸ニュースは、次世代スター選手獲得のための興行主側の長期リクルート計画なのです。スター選手がいないことには興業自体の人気が維持できません。

ところが高額年俸は意外と選手個人で自由に使えないようです。怪我をしたら治療費はすべて自腹だったとか、複数の付き人の給料に自動天引きされるとか、遠征試合の旅費が自腹だったとか、スポーツ選手の愚痴がときどきマスコミに漏れることがあります。つまりマスコミが作り出すスター選手像ほど、現実の選手はいい思いをしていないのです。

繰り返しますが、スポーツ、娯楽、サブカルチャーを私はすべて否定しているわけではありません。
ただ生活必需品の”物作り”にもっと関心を持ち、為政者たちがマスコミを通じて行う愚民化政策を目的とした情報操作に、もっと敏感になるべきだと思います。そして私たちの血税は愚民化政策でなく、”物作り”を支援するために使われるべきです。


2013年6月4日火曜日

これからの時代について⑫ 国民自給自足率のビルドアップ

この世で最も重要な職業は何でしょうか?

私は真っ先に農業を挙げます。それも嗜好品的な珍しい果物ではなく、米、大豆、麦といった穀類や野菜など、生活必需品的な農作物を作る仕事です。日本人の場合、魚の消費量が多いことを考えれば漁業も同じ意味で重要でしょう。

食料がなくては私たちは生きてはいけません。だから農業は重要なのです。

ところが日本の食料自給率はカロリーベースで39%(生産額ベースで66%)です。しかも農家は高齢化が進んでいます。今、行政が一番強化しなければならない産業の一つが農業なのです。

ところで食料自給率はなぜ高くすべきでしょうか。

太平洋戦争で、日本は敵国から経済封鎖を受けました。いわゆるABCD包囲網です。経済封鎖とは戦国時代の言葉で言えば”兵糧攻め”です。

米国は日本の無条件降伏以降はもちろん、それ以前から日本を支配しやすいよう、日本の自給率を意図的に下げてきました。

自給率が低いのは食料だけではありません。エネルギーの自給率、つまり石油も日本は海外からの輸入に依存しています。

経済封鎖をちらつかせれば、日本は米国の命令に従うしかありません。
そこで食料をはじめ、生活必需品・サービスの国内自給率が重要になってくるのです。

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さて、私はここで新しく国内自給率ならぬ、国民自給自足率(国民自給率)という概念を提唱したいと思います。
これは生活必需品・サービスを国民が自給自足できる割合またはその能力という意味です。

具体的には自給自足の兼業農家を思い浮かべてください。自分の庭で栽培した農作物を食べることで食費の全部または一部を賄うのです。
自分で生産して自分で消費する。ここでは市場も貨幣経済も仲介しません。

また食料だけではありません。自宅のソーラーパネル付屋根で発電した電気で電気代の全部または一部を負担します。

この他、生活必需品・サービスには水道、住居、衣類、医療サービスなどが思い浮かびます。かつてアーリーアメリカン時代、田舎の米国人は自分で自宅を建てていたようです。
すべてを自給自足することは不可能かもしれません。しかしたとえば組織を立ち上げ、自給率向上の研究を進めれば、技術的に自給率を飛躍的に高める方法が見つかるかもしれません。
共産主義には生産手段の共有という概念がありますが、私は生産技術情報、設計技術情報の共有という概念を提唱したいと思います。
私は自給自足で前近代的な生活に戻れと主張しているのではありません。できるだけ現代人の生活を維持しながら、自給率を高めることが可能だと考えるのです。

日本が米国の支配から逃れるために国内自給率を高めることが重要なのと同様、一般の国民が日本国政府の支配からある程度逃れるために、国民自給率を高めることが重要なのです。

日本の政府と日本に住む国民は別の概念です。両者は利害が異なります。外国政府とその国の国民についても同様です。
政府は税金という形で国民の財産を一方的に搾取する存在です。国民はこのことに意識的でなければなりません。これまで多くの国民が信じてきた政府”性善説”は間違いです。国民は常に政府を見張る必要があるのです。そしてそれこそが本来の民主主義のあり方なのです。

(つづく)






2013年3月27日水曜日

これからの時代⑪ 学校のダウンサイジング

さて、箱物と言えば学校です。校舎を無駄に建設するのは税金の無駄使いです。校舎の建設費を”ウサギ小屋”に住んでいる庶民の住宅の建設費に回すべきです。

学校の授業をすべて通信教育にすれば校舎は必要ありません。生徒は自宅か図書館で勉強すればいいのです。教職員も毎日、同一の建物に通勤する必要はなくなります。

入学式や卒業式は公民館を利用すればよく、校舎は必要ありません。

そもそも軍人教育でなければ、意味のない無駄な集会や朝礼はできるだけ廃止すべきです。

”協調性”という言葉があります。子供たちの”協調性”を育てるために、教育に朝礼が必要だと唱える人がいます。しかし私に言わせれば、”協調性”とは支配階層が一般庶民を支配するための”奴隷性”の別称なのです。
程度の問題もありますが、”協調性”という言葉を政府やマスコミが唱えたときには、このことに注意する必要があります。

実習授業もまた公共施設を利用すれば可能です。体育はスポーツジム、化学実験や図画工作は産業技術研、料理や洋裁は公民館でできます。また一つの校舎を建設して複数校の生徒が利用するという方法もあります。

地震や津波の被災者たちは日本では小学校の講堂で雑魚寝しますが、米国ではスポーツスタジアムでキャンプです。スポーツスタジアムの方がいいのではないでしょうか。

生徒たちを学校に集めるから、”いじめ”が生じるのです。これを根絶するには校舎をなくし、学校教育を通信教育に移行すべきでしょう。

私は今まで小学校、中学校、高校について述べてきました。しかし大学や短大、専門学校の方が、校舎をなくして通信教育に移行しても問題は少ないでしょう。

6・3・3制も問題です。海外留学も考慮して、教育制度を世界共通にすべきという考え方もあります。しかしながら、江戸時代、町人は14歳から働き始め、40歳で仕事を引退していました。平均寿命が50歳の時代ですが、子供の死亡率が高かったためで、これを勘案すれば平均寿命は60~70歳ぐらいと考えてもいいでしょう。

私の提案ですが、平均して16~18歳ぐらいから働きはじめ、早ければ50歳くらいで引退して年金生活できる社会のライフスタイルを目指すのはいかがでしょうか。もちろん平均寿命は80歳程度を想定しています。

今の制度では大学を普通に卒業すると22歳です。もっと早く大学を卒業して社会人になるべきです。早く社会人になれば早く結婚し、少子化問題も解決するでしょう。また稼ぎが同じなら若い人の方が消費が大きいでしょうから、景気も上向くでしょう。

大学を卒業するのが16~18歳ぐらい、飛び級の生徒はさらに若くして卒業でき、企業や役所の現在の大卒の仕事に就業するのです。

実際、今の教育は無駄が多すぎます。現在の企業の大卒平社員がやっている仕事をこなすためには、22歳まで学び続ける必要はなく、16~18歳ぐらいで十分なのではないかと思います。

第二次成長が終われば肉体的には成人です。彼らをいつまでも子供扱いするべきではありません。校内暴力は大人の知能と肉体を持った彼らを過剰に半人前扱いしているから起きるのです。 社会人にさせ、自分の行動に責任を取る立場にすべきです。

今の30代がやっている仕事と役職を20代に、40代がやっている仕事と役職を30代に、そして50代がやっている仕事と役職を40代にシフトすべきです。


2013年3月23日土曜日

これからの時代について⑩ 行政・箱物のダウンサイジング

3.行政・箱物のダウンサイジング

さて、次は地方分権と直接民主制についてのお話です。

治安に関するサービス、つまり警察、軍事、諜報工作活動などは、国がやるべき業務です。軍事に関連して外交も国のサービスです。

一方、経済政策をはじめ、それ以外の大半のサービスは地方に移譲すべきです。国から県へ、県から市町村へ。財源だけでなく、公務員の人口も国から地方へ移動すべきです。

また地方への権限移譲だけでなく、規制緩和を促進し、行政の仕事をできるだけダウンサイジングすることも必要でしょう。

ダウンサイジングはヒト、モノ、カネの縮小を意味します。公務員の人数を減らし、箱物(建造物)を減らし、予算を減らします。ただし、広義の公務員は独立行政法人などの準公務員を含め、全体で全国民の20パーセントくらいが望ましいと思います(現在、日本は準公務員の人数は多いが公務員の人数は他の先進国より少ない?)。

今後、建設業者は役所のためでなく、ウサギ小屋に住んでいる国民が欧米人並みのまともな家に住めるよう、国民の住居を建設すべきですし、行政の予算はそのために捻出すべきです。

地方分権に伴い、労働人口も地方へ大幅に移転すれば、地価も安いですし、都心よりも低予算でマンションや戸建てが建てられるはずです。

インターネットの発達で接客業や工場労働、医療サービス、運輸業などの一部の例外を除き、在宅勤務が可能な時代です。都心に住まなくても仕事はできます。

安全に関する産業の規制は、ISO、IEC、ITUなど国際機関が定めた世界標準を原則とし、その他、不要な規制は極力排除すべきでしょう。

独立行政法人、第三セクター、特殊法人、一部の財団法人なども役所と同じです。不必要な組織は廃止し、組織規模もダウンサイジングすべきでしょう。また組織によっては地方分権を進めるべきです。

もしこれらの組織が収益を得るなら、その税率はできるだけ民間企業に近づけるべきです。

これに関連して、士業といわれる人たちの労働人口は必要最小限に留めるべきです。サービス業を大きくすべきではありません。労働人口の主流は”物作り業”であるべきです。

弁護士、会計士、税理士、企業診断士、弁理士、コンサルタントなど、彼らは役所と同じで、何かを生産しているわけではありません。何らかの法的規制が民間に課せられていて、それをネタにした商売です。そもそも規制がなければ原則として士業は必要ありません。

人類に絶対に必要不可欠なサービス業は、私に言わせれば警察・軍隊と医者・歯医者ぐらいなものです。その他の公務員や士業のサービス業は、すべて無駄とは言いませんが、無駄な規制を廃止し、原則としてできるだけ縮小することを考えるべきです。

また町内会やマンションの理事会のように、あるいは裁判員制度のように、一般に市民が当番制で自分が住んでいる市の市議会議員になる、という直接民主制度を提案します。

市議会議員の半分が選挙で選ばれ、もう半分が当番制議員でもいいでしょう。この場合、誰もが簡単に市議会議員に立候補できるよう供託金は極力下げる必要があります。市議会議員だけでなく、県議や国会議員、自治体の首長においても同様ですが、特に自分が住んでいる地町村の行政に参加しやすくすることが重要です。

供託金はもともと”ふざけて立候補する人”や政治には素人と思われる芸能スポーツ選手が出てこないように設けられた制度です。しかし都知事選や参議院選には、高い供託金を払っても、当落度外視で、NHKの政見放送でお笑い芸人顔負けのパフォーマンスを披露する候補者がいます。また、プロレスラー出身や漫才師出身の政治家は、今日では珍しくありません。
だとしたら供託金は低くし、誰でも立候補できるようにすべきです。2世議員を規制するより、こちらの方が本質だと思います。

当番制議員の主な役割は、不必要に行政が自分たちから税金を取らないよう監視することです。また自分が住む地域の道路建設やゴミ処理場の場所など、自分たちで納得のいく税金の使い方を行政にしてもらうことも重要です。

このため、学校教育の場で、将来自分が当番制議員になっても困らないように”政治家教育”を義務教育に追加すべきかもしれません。

2013年3月21日木曜日

これからの時代について⑨ 公安・軍備のビルドアップ②

さて、前回は、これからの国防は通常戦力の時代ではない、と書きました。

そこで新しい軍事技術を開発する日本版DARPAの設立を提唱したのですが、もう一つ、情報戦について述べないと片手落ちです。

情報戦とは狭義にはスパイ工作です。外国の国家機密情報を収集したり、要人を暗殺したり、外国のスパイ工作活動を妨害することなどが含まれます。

しかしならが広義の情報戦には、マスコミの世論操作などが含まれます。

「金融のダウンザイジング」のところで書き忘れたのですが、ユダヤ金融資本に対抗する有効な経済的手段の一つにドルの価値を貶める国際通貨の創出があります。

リチャード・コシミズが提唱するロシアを含めた極東アジアの共通通貨を作ることなどがこれに当たります。

しかしながら、アフリカ統一通貨を作ろうとしたカダフィーや、石油取引をドルからユーロに替えようとしたフセインはいずれもユダヤ金融資本に殺されてしまいました。

マスコミにはいずれもユダヤ金融資本勢力の話は一切出てきません。マスコミ自体が彼らの勢力下にあるから隠蔽されているのです。

ですからアジア共通通貨構想や日本版DARPA構想も、まず最初にCIAのスパイ工作を排除し、マスコミに真実を語らせる体制にしなければ、うまくいかないでしょう。


マスコミに関してはマスコミをダウンサイジングすることで、ある程度解決できます。

スパイ工作に関しては、やはりリチャード・コシミズが唱える日本版CIAの設立が必要でしょうか。

実は日本にも内閣官房調査室のようなスパイ機関はあるのですが、どの程度機能するかはわかりません。

前回、私が提唱した日本版DARPA構想ですが、一つには国内の軍需産業を立ち上げ、経済効果を創出する意味がありました。

税金を使って米国からオスプレイを買うのではく、国産のもっといい軍事用乗物や兵器を買うのです。

それも三菱重工や川崎重工だけでなく、ベンチャー系国内企業を立ち上げ、軍需製品を供給するのです。

ところが現在のような状況ではCIAの妨害工作に合い、結局、米国軍産複合体から役に立たない軍事兵器を高値で買わされてしまうでしょう。

これを防ぐためのいいアイデアは思いつきませんが、ひとつには「裏社会のダウンサイジング」が有効かと思います。でもこの話は後述することにして、ひとまずここで筆を置きます。



これからの時代について⑧ 公安・軍備のビルドアップ①日本版DARPAを提言

3.金融のダウンサイジング

さて、ダウンサイジング論シリーズがまだ終わらないうちに、予定を変更して公安・軍備のビルドアップについてどうしても書きたくなりました。

日本がユダヤ金融資本に対抗する最も有効な手段が、公安・軍備のビルドアップだからです。

小沢一郎氏はネットのインタヴューでこう答えています。産業に関する行政は国から地方自治体に大幅移譲し、そのかわり、国は強い警察、強い公安組織を作るべきであると。

これは警察国家を作るべきという意味ではなく、外国のスパイから国益を守る力を強化すべき、という意味だと私は解釈しています。

リチャード・コシミズによれば、日本版CIAを作るべきとのことです。これは韓国のKCIAのような、米国CIAのローカル支店を作るという意味ではなく、米国CIAが日本に対して悪さをしないよう監視する組織として日本版CIAを作るべきという意味です。

私はもう一つ提案したいのですが、日本版CIAに加え、日本版DARPAを設立すべきと考えます。

DARPAとは米国の国防高等研究局(Defence Advanced Research Projects Agency)の略称です。つまり軍事技術の研究所です

3.11に使われた地震兵器、台風や竜巻、黄砂を起こす気象兵器、豚インフルエンザなどの生物兵器。べネゼエラのチャベス大統領を癌で暗殺した新兵器。さらには9.11に使われた純粋水爆。

表のメディアでは報道されませんが、新兵器のオンパレードで、ここ数年、日本は米国から攻撃を受けています。

もはや軍事力は通常戦力の時代ではありません。科学技術力なくしては、これからの国防はなんの意味もないのです。

安倍総理は日本に徴兵制をもたらすよう、米国から命じられているようですが、兵隊の頭数を増やしても軍隊は強くならないのです。

日航機墜落事故は、実は横須賀基地から飛び立ったオレンジ色の無人機(ドローン)が日航機に追突したので墜落したのです。

ドローンはリモコン飛行機のように遠隔操作で動作するもので、兵士は搭乗していません。かりに敵国の軍隊から攻撃を受け、墜落しても米兵に死者は出ません。

最近では米国のドローンがイランに爆撃を加え、多数の死者を出しています。

TEDの動画を見るとドローンだけでなく、米国は陸軍でも無人戦車やロボット兵器をすでに研究開発しています。

これからはPCゲームのように兵士は遠隔から無人戦闘爆撃機、無人戦車、無人潜水艦、ロボット兵器を操って戦争する時代になるかもしれません。

戦前、わが国では優秀な高校生の多くが大学の工学部を目指して勉強しました。現在、優秀な高校生が医学部を目指して勉強するようにです。

そして工学部の学生から優秀な人材が選ばれて戦闘機の設計に携わりました。その結果、零戦、隼、紫電改などの名機が生まれたのです。

日本版DARPAを設立し、優秀な人材を集めて新しい軍事技術を開発すべきです。それも米国で発明された技術を真似するのではなく、まだ世界で誰も発明していない技術を生み出すのです。

アシュケナジーのDNAを解析し、彼らだけが感染するウイルスを作るというのはどうでしょう。ユダヤ金融資本がこれ以上搾取をしないよう交渉するときの、有力なカードになります。

核ミサイルを弾き返す電磁バリアを開発し、日本列島を覆うのはどうでしょう。こうすれば北朝鮮から飛んでくるテポドンに悩まされずに済みます。

荒唐無稽な話に思えるかもしれませんが、核爆弾が最初に開発されたときも、常識で考えてそんな技術があるわけないと一笑した人が特に戦前の日本には多かったと思います。


(つづく)




2013年3月20日水曜日

これからの時代について⑦ 金融のダウンサイジング②

ところでユダヤ金融資本の世界支配を阻むにはどうしたらいいでしょうか。

ここで私が提案したいのが金融のダウンサイジングです。

まず実体経済に合わないほど肥大した上場企業を小さくします。また上場企業の数を減らします。

これに伴い証券会社や銀行の規模も小さくなります。都銀より地銀、地銀より地元の信用金庫が経済の中心になります。ローカル規模の証券市場や上場会社が出てきてもいいと思います。

上場すべきでない会社をむやみに上場させるのは厳しく禁じるべきです。また上場するメリットを減らすことも大事です。

中小零細企業のオーナー社長が亡くなったとき、相続税が高すぎて息子が会社を相続できないという例を私は知っていますが、これは馬鹿げた話です。

会社の相続税は安くし、一方で株を上場したときに得るキャピタルゲインに高い税を課せば、証券会社に企業を上場するモチベーションも減ります。

小さなベンチャー企業の成功者で20~30年、遊んで暮らせる”小金持ち”は容認しましょう。彼らから高い税を取るべきではありません。

一方で、ユダヤ金融資本家のように、政治家や国家を支配するほどのモンスター級の大金持ちには警戒すべきなのです。こういう大金持ちが出現しないよう、彼らから税を取るべきなのです。

要は実体経済に合わないほど企業を大きくしてはいけないということです。これにより、マネーゲームで成長するモンスター級の大金持ちが出現しにくくなります。

ホテル事業を営んでいるわけでもないのに、保養所を所有している企業は、実体経済より肥大していると考えるべきでしょう。

特にこうした企業に税をかけるべきではありません。ただ、多数の雇用者の生活を守るという名のもとに、倒産しそうな大企業に、中小企業より、優先して国のお金を投入すべきではありません。

実体経済より肥大しすぎた企業はダウンサイジングすべきなのです。何もしなければそのまま倒産するか、自らリストラを行って企業規模を小さくしていけばいいのです。

そして職を失った労働人口を実体経済に見合った規模の中小企業のうち、成長企業が吸収すればいいのです。

要するに国民の富をむやみに株式化、有価証券化してはいけない、ということです。株にしてしまえばユダヤ金融資本がそれを様々な手腕を駆使して安値で買いたたき、富を所有し、あなたを支配してしまうからです。

わかりやすく言えば、売り物にすべきでないものを売らなければいいということです。

この原理に従えば、ユダヤ金融資本に対抗するもう一つ有効な方法があります。

それは市場経済に計上されない生産と消費を増やすということです。それも贅沢品や嗜好品ではなく、生活必需品に近い分野でこれを増やすのです。

具体的にはたとえば自給自足の兼業農家を増やす、というようなことです。これについては後で詳しく述べます。

これからの時代について⑥ 金融のダウンサイジング①

2.金融のダウンサイジング

リチャード・コシミズによれば諸悪の根源はユダヤ金融資本です。

ニューヨーク・ウォール街には米国のみならず、世界の金融界を代表する銀行、証券会社、証券取引所、そして中央銀行(FRB)があります。

これらはすべて隠れユダヤ人の支配下にあります。

そして米国の大企業、世界の大企業の株式の多くをこれらの金融機関が保有することにより、ニューヨークの金融機関が間接的に世界経済を支配します。

さらに大企業が政治家やロビイストの後援者として資金援助をすることで、経済界が政治に影響力を及ぼします。

こうしてユダヤ金融資本が世界を支配しているのです。

かつてインドがイギリスの植民地だった頃、インド人の平均所得はイギリス人の5分の1でした。

第二次大戦後、インドは独立国となりましたが、20世紀にはインド人の平均所得はイギリス人の20分の1まで落ちたとのことです。

果たして19世紀と20世紀を比べた場合、白人国家は、どちらの時代の方がより多くアジアから搾取しているのでしょうか。

経済学者はこの理由について、いろんな説明をしていますが、私に言わせれば意図的にアジアから搾取している人たちがいるからこうなったのです。

かつてバブル時代、日本は円高で個人のGDPが米国を超えるほど豊かだった時代があります。

でも日本人個人の生活は少しも豊かではありませんでした。

ウサギ小屋に住み、毎日満員電車に耐えながら職場まで遠距離通勤し、夜遅くまで残業する生活です。

残業時間の一部は残業手当のつかないサービス残業ですが、これが労働基準法的に合法なのか違法なのか、考える知力さえ残っていないほど残業で疲れています。

生まれて初めて海外旅行に行ってみると、欧米人たちが住んでいる家にくらべ、ウサギ小屋に住んでいる自分たちの生活の貧しさに驚かされ、本当に日本が世界第2位の経済大国なのか首をかしげます。

確かに給料は高かったのですが、本当は会社は社員たちにもっと給料を支払えたはずなのです。少なくとも大企業はそうです。

その証拠に企業は豪華な保養施設を作ったり、多角経営の名のもとにカツラメーカーが映画を作ったり、今考えればとんでもない金の無駄遣いをしていました。

実はバブル時代、儲けた金を多くを大企業が国民から搾取していたのです。国家の富の大半を政府や大企業が独占していたのです。

そして、これに目をつけたのがユダヤ金融資本です。

バブル崩壊以降、いわゆる米国ハゲタカファンドが日本企業の株を、合法、非合法を問わず、様々な工作で安値で買いあさり、日本経済を乗っ取ってしまいました。

このため、今の日本は貧しくなったのです。

リチャード・コシミズはバブル時代の日本を理想郷としますが、私個人はこれには同意しません。

国民に渡すべき富を大企業が搾取していたのがバブル時代で、その富をハゲタカファンドに奪われたのが今の時代なのです。

バブル時代はバブル時代で問題があったのです。その証拠にこの時代の日本の自殺率は高かったようです。

(つづく)

これからの時代について⑤ マスコミのダウンサイジング

1.マスコミのダウンザイジング

さて、いよいよ本論に入ります。

オウム事件、9.11自作自演テロ、3.11人工地震テロ、12.16不正選挙テロ。

リチャード・コシミズによれば、日本の大手マスコミは真実を語らず、かつての”大本営発表”よりひどい嘘のニュースを流して国民を洗脳し続けています。

しかしここ数年のうちに、何らかの形で真実の全部、または一部が明るみに出ると思われます。

「これまで嘘をついてました。今後は真実のニュースを報道しますので、国民のみなさん、引き続き、地上波テレビのニュースを見て、大手新聞のニュースを読んでください」

こんな発表があるかもしれません。国民は戦後、”大本営発表”の情報操作詐欺で騙されています。

同じ手口の詐欺にいくらなんでも今度はもう騙されません。

地上波テレビ放送局、大手新聞社は解体して、ダウンザイジングする必要があります。

国民を洗脳するための手段としてのマスコミを政府は持つべきではありません。政府は国民を洗脳してはいけないとう法律を作るべきかもしれません。

電通のような国民洗脳機関も、NHKのような不当な”テレビ税”で運営している放送局も必要ありません。

海外のスパイや、麻薬シンジケートと癒着した宗教団体の支配下にあるテレビ局、新聞社は論外でしょう。即刻、解体すべきです。

政府はただ広報発表をネットで行えばいいのです。この発表はマスコミを仲介せず、国民が直接アクセスできます。

国民には真実を知る権利があり、真実に基づいて国民自身が意思決定できるのが、本来の民主主義の政治システムのはずです。

テレビや新聞は最初は都道府県のローカル局や地方新聞が最大手となり、次に市町村レベルのマスコミ、さらには個人事業レベルのマスコミが、国民に情報を与えるメディアに成長していけばいいのです。

テレビ局も新聞社もある意味、個人で作れる時代です。

厳密には個人テレビ局は、ニコニコ動画やUstream、YouTubeを利用した配信です。

動画の撮影や編集は、個人が入手できる金額のデジカメとPC、編集ソフトを使っても、かなり高いクオリティーのものが作成可能です。

個人新聞はネットのブログを使えば可能です。DTPを使って紙媒体の新聞を自費出版で作るのも、コストはかかりますが、最近はかなり安くなりました。工夫をすれば零細企業でも支払える額です。

ネットを利用すれば、大企業でなくとも、マスコミのサービスは提供できるのです。

ローカル局が独自のテレビドラマやバラエティー番組を作る時代です。マスコミのダウンサイジングはすでに始まっているのです。

ある意味、リチャード・コシミズのブログや動画が個人事業規模、零細企業規模のマスコミの走りです。今後はこういうマスコミが世界的に増えていき、マスコミの主流の一つとなるでしょう。

大手マスコミがなくなり、無数の個人商店規模のマスメディアが自由にニュースを流した場合、国民は自己責任で情報の取捨選択をする義務が生じます。

何しろ電通による支配がなくなればマスメディアは媒体ごとにかなり違ったニュースを報道するからです。同じ国際問題の事件を扱う場合でも、メディアによって、どちらの国が正しくどちらの国が悪いのか、その論点が異なります。

英語などによる海外メディアから情報を収集する国民も増えてくるでしょう。逆に英語で世界に情報を発信する個人事業規模のマスメディアも出現するかもしれません。

ところで、人工地震や福島原発テロによる放射能汚染問題に対する発言で、これまで専門家とされる国立大学や国立研究所の科学者たちの権威が、ここ数年の間に、少なくともB層を除く国民の間で失墜しました。

つまり彼らは政府の命令で嘘の情報を発言したからです。

民間企業の回し者なら自社の利益のために嘘もつくが、国立機関に勤務する科学者ならそんなことはない、というのがこれまでの常識でした。

しかし政府が積極的に国民に嘘の情報を発信している以上、彼らを上司とする国立機関の科学者たちは、上からの命令で嘘をつくしかなかったのです。

これからは個人事業規模のジャーナリストたちが、科学的専門知識を要する問題で正しい記事が書けるよう、在野の科学者や研究機関の助けが必要でしょう。

ただこうした科学者や研究機関を運営する予算をどこから捻出するかについては、私もわかりません。

当面はボランティアでお願いするしかないかもしれません。これは個人事業規模のジャーナリストたちにも言えるかもしれません。

生計を立てる手段を複数持つ、という形態が今後は増えるかもしれません。

最後に蛇足ですが、グーグルのストリートビューは、本来、民間企業でなく、行政がやるべき仕事だと思います。人工衛星からのリアルタイム情報も使えばさらに便利になります。

NHKを解体して、非営利団体として和製グーグル機関を設立し、NHKの職員、予算などを吸収するのはどうでしょうか。

グーグルもユダヤ金融資本の傘下とのこと。「邪悪になるな」が社是とのことですが、どうなるか分かりません。

グーグルの主なサービスを代替できるサーバーを国内で保有し、それを公共機関が税金で運営するのです。つまりマスコミそのものではなく、マスコミのインフラを公共機関が管理するのです。

これなら”テレビ税”の有効活用だと思うのですが、いかがでしょうか。


2013年3月19日火曜日

これからの時代について④

日本の企業には、組織のために自分が犠牲になることを美徳と考える人がいます。

でも先ほどの覗き見の話はどうでしょうか。

上司の命令で泣く泣く痴漢の片棒を担がされ、奴隷のように耐えるのが本当に美徳でしょうか。

「嫌だったら、早く出世して平社員を脱出し、管理職になることだ」

日本企業の若い社員の中には、こんな”支配階層”が発したプロパガンダを本気で信じ、鬼畜の奴隷労働に耐え忍んでいる人が多いと思います。

いや、企業によってはこういう社員の方が多数派かもしれません。

あなたを奴隷のように支配している人たちは、あなたが独立して一人歩きしないように、つまり奴隷状態のままでいるために、常にあなたを騙す必要があるのです。

あなたを支配している人たちの存在に気づいてください。彼らはあなたの勤め先にもいますし、国家にもいます。さらには国際社会にもいるわけです。

そもそも温泉愛好会でもあるまいし、企業に社員旅行は必要でしょうか。無駄な予算があるなら、社員のボーナスに回して然るべきです。

大企業の保養所を見るたび、私は保養所を建設した予算を社員に回して、彼らを”ウサギ小屋”よりもう少しましな家に住まわせたらどうか、と思うのです。

私が住んでいる街の駅前の路地には、小さな古ぼけた個人商店街があります。とても狭くて中に入る気がしない飲食店が並び、店主の家族はその二階に住んでいます。

店主は老人ばかりで、次々に閉店しているようです。

一方、某国立大学の建物は無人の教室が余っています。半分を学生が使い、残りを放送大学に貸しています。それでもまだ誰も使わない教室がいくつもあります。

大学にこうした無駄な空間がある一方、路地裏の個人商店街は商売をするための満足なスペースが得られません。

余ったスペースをスペースが必要な人に利用してもらうことはできないでしょうか。

不動産やスペースの問題を考えるにつけ、明らかにこの国の富の分配のやり方は間違っていると思うのです。

すべては組織または巨大組織を個人より優先する社会構造に問題があるのです。

そこでこれを改善するのがダウンサイジングというわけです。

(つづく)

これからの時代について③

以前、こういうニュースがありました。

某大企業の社員旅行で、男性社員が集団で、女性社員が入っている女湯を覗き見した、という事件がありました。

正確なことは覚えてないのですが、朝のテレビでニュース解説者が、こういうのは大抵、上司や先輩から命ぜられて、新人社員が覗き見を片棒を担がされるものだ、と語っていました。

ニュースの真相・詳細はわかりませんが、もしこの解説者の通りだとすると、覗き見を命じられた新人社員たちは、女性社員同様、ある意味、この事件の被害者ということになります。

だとしたら、覗き見を命じた上司や先輩が悪い、ということで思考停止してしまうのが日本社会の常ですが、私はもう一歩踏み込んで、組織または巨大組織を個人よりも優遇する、社会の構造そのものが諸悪の根源と考えます。

ここまで極端な例はともかくとして、上司や先輩から不正とわかっている仕事を命じられたり、不正とまでいかなくとも、とてつもなく馬鹿げた仕事を上から命じられることは、どこの企業、組織にもあるのではないでしょうか。

70年代であれば、覗き見などという民度の低い事件は中小零細企業の話であって、エリート集団である大企業や公務員には無縁の話だ、で済んでしまうところですが、むしろ普段から精神的に追い込まれているエリート集団こそ、とてつもなく恐ろしいことが起きやすい、というのが私の意見です。

現にこの覗き見事件は大企業の話なのです。

覗き見を命じられた新人社員も会社などに勤めず、上司や先輩のいない農家や自営業や商店の店主だったら、こんな思いもしなくて済んだはずです。

なぜ彼は会社に勤めたのでしょうか。

第一に農家、自営業、商店の店主の仕事に就くことが難しかったこと。

第二に農家、自営業、商店の店主より、一般に企業のサラリーマン、それも大企業のサラリーマンの方が将来的に暮らし向きがよさそうなこと。

これは日本の教育が、農家、自営業、商店の店主より、公務員や会社員といった”巨大組織の奴隷”を養成することを想定したものであることや、大企業や巨大組織に世の中の富が集中するような経済構造を国が想定していることなどが考えられます。

大企業や役所でなければ、巨大なプロジェクトを実行できません。

しかしながら技術革新により、一昔前の巨大プロジェクトは、現在ではより小さいプロジェクト、つまり人、物、金が小さくても実行できるようになりました。

トラックやクレーン車のない時代に大阪城や江戸城は建設されました。

今でも大阪城や江戸城のような大きさの建造物を建設しようとすれば、ビッグプロジェクトでしょうが、それでも当時よりはかなり小さなプロジェクトになるでしょう。

技術革新によるプロジェクトのダウンサイジングは肉体労働系ばかりではありません。コンピュータの発達により、頭脳労働系の仕事もダウンサイジングします。さらにはロボットの導入で精密作業やあらゆる雑務を無人化できます。

これまで100人でやっていた仕事を10人で。10人でやっていた仕事を1人で。そしてしばらくすれば100人でやっていた仕事を1人でできるようになります。

大企業にしかできなかった仕事を中小零細企業が受け持ち、中小零細企業がやっていた仕事を個人事業者が受け持つようになります。

これが私が提唱するダウンザイングです。

(つづく)

これからの時代について② 組織のダウンサイジング

0.組織のダウンサイジング

まず初めにダウンザイジングの概念から説明したいと思います。

私が提案したい考えは、不必要に大きい組織のダウンサイジングです。

大きい政府より、税金の無駄を省いた小さい政府の方が望ましい、という考え方があります。

第三セクターのような半官半民も、不要な組織であれば、なくすか小さくすべきです。

では民間企業の場合はどうでしょうか。

私は民間企業もまた不必要に大きければダウンサイジングすべきと考えます。

世の中の富の大半は、行政、民間を問わず、巨大組織が吸い上げています。

組織を小さくすれば予算も減り、その分、富が一般庶民に還元されるはずだからです。

ダウンザイジングは組織に属する人、物(とくに建物)、金を縮小することです。

箱物行政という言葉があります。

まず官僚の天下り組織として、わけのわからない独立行政法人を作り、多額の予算でビルを作ります。

次に多数の職員を雇って、多額の予算を使って給与を払います。

この予算は税金から成り立っています。

一方、日本の一般庶民は外国人から”ウサギ小屋”と揶揄される粗末な家に住んでいます。

同じ建物を作るなら、国家予算を使って庶民の住宅環境をもう少しよくできないものでしょうか。

このためにまず大組織のダウンサイジングが必要なのです。

巨大組織で働いている人たち自身は、表向きはエリートかもしれませんが、世の中に不必要な仕事をするのは、結構辛いものです。

世の中に本当に必要な仕事は”物づくり”、それも生活必需品の”物づくり”です。

サービス業のすべてが不要ではありませんが、第三次産業が経済の主流であるということは、世の中に不必要な仕事をしている人が多いということを意味しています。

また巨大組織では一人分の仕事を複数人でやります。

自分がいなくても組織は少しも困らないという”歯車”意識も辛いものですが、こういう人は組織の大きさに比例して多くなるでしょう。

(つづく)

2013年3月18日月曜日

これからの時代について① 序文

これを読んでいるみなさんは、まだ地上波テレビや大新聞の情報をすべて真実だと思っているでしょうか。

それとも覚醒しているでしょうか。

戦前、この国のメディアは大本営発表の虚偽の情報で国民を世論操作してきました。

敗戦後、マスコミはこれまでの世論操作の事実を認めましたが、戦後はどうでしょう。

戦後、日本は真の民主主義国家になった。だから大手マスコミは真実を伝えるようになった。

これがこれまでの大多数の国民の認識だったのではないでしょうか。私もそうでした。
 
リチャード・コシミズのブログや講演会の動画にネット上で巡り合うまで、私は典型的なB層でした。

マスコミの”大本営発表”は今も続いているのです。それも以前より悪質になったとさえ言えます。

日航機墜落、オウム事件、9.11自作自演テロ、3.11人工地震、そして12.16不正選挙。

マスコミの公式発表はことごとく真実を覆い隠してきました。

意味不明の方は、まずリチャード・コシミズでググってください。

私はリチャード・コシミズの史観を踏まえ、真実の情報拡散以外にどうすれば世の中はいい方向に進むのかについて考えてみました。

6つのダウンサイジング、4つのビルトアップ、そして一つのブラッシュアップです。

1.マスコミのダウンサイジング

2.金融のダウンサイジング

3.行政・箱物のダウンサイジング

4.非営利団体(宗教団体、学校、病院など)のダウンサイジング

5.製造業のダウンサイジング

6.スポーツ娯楽産業のダウンサイジング

7.住宅環境のビルドアップ

8.公安・軍備のビルドアップ

9.自給自作農業のビルドアップ

10.エネルギー開発のビルドアップ

11.その他、ライフスタイルのブラッシュアップ

(つづく)









2013年2月24日日曜日

放送打ち切り決定の「アイアンシェフ批判」批判

 私の記憶が正しければ、・・・フジテレビの料理番組「アイアンシェフ」は3月いっぱいで放送打ち切りになるという。
 視聴率が振るわないからだ。

 私は先代の番組「料理の鉄人」の大ファンであり、かつアメリカの「IRON CHEF AMERICA」のファンでもある。これは日本でもBSで深夜に放送された。

 私は今回の新番組「アイアンシェフ」はよく見ていない。というか、つまらなくて途中でチャンネルを変えてしまっている。全部見たわけではないので、評論する資格があるかどうかわからないが、あれでは1クールで打ち切りになるのも尤もだ、という気がする。

 ところでネットでは、「アイアンシェフ」がいかにつまらないかについて、いろんな意見が飛び交っているが、これまた検討違いに思えてならない。
 たとえば以下のような意見だ。

・「料理の鉄人」の焼き直しで昔と同じなのがよくない
・フェアなガチンコ試合でなく、八百長だからよくない

それぞれについて検証してみよう

・曰く: 「料理の鉄人」の焼き直しで昔と同じなのがよくない
 オールドファンに言わせてもらえば、昔と同じなら懐かしくて見たいと思うのだ。少なくとも、よい点は変えるべきではない。「アイアンシェフ」は、昔と違うからよくないのだ。
 たとえば試合開始の合図である、フランス語の「Allez cuisne!(アレ、キュイジーン)」をやめたのはよくない。
 主宰・加賀丈史の雄叫び「Allez cuisne!」を聞いて、血沸き肉躍る思いをした視聴者は私だけではあるまい。
 海外版「IRON CHEF」でも例外なくこの「Allez cuisne!」を採用しているはずだ。
 メンバーも昔と同じなのは解説者の服部幸應氏ぐらいで、鉄人も主宰も入れ替わってしまった。鉄人一人ぐらいは昔のメンバーを残してもいいのではないか。
 番組のタイトルも日本名「料理の鉄人」のままの方がいい。

・曰く: フェアなガチンコ試合でなく、八百長だからよくない
 これはWWEのプロレスの面白さがわからない人の発言だろう。
 スポーツ観戦とは違って、試合の勝ち負けはどうでもいいことなのだ。
 そもそもテレビ番組で、二人の料理人が料理を作って、どっちがうまいか競い合う、ということ自体が茶番なのだ。フライパンから出火したらリプレイされたり、「世界初のキッチンスタジアム」とアナウンサーが連呼する度に、「スポーツじゃあるまいし」と言って、テレビの前の視聴者は笑い転げていたはずだ。
 だから試合自体は、”やらせ”で十分だし、勝敗が最初から決まっていて構わない。
 すべてが茶番の中で唯一まじめなのが、解説者、服部氏が語る食の薀蓄だ。たとえば「キャビア、フォアグラ、トリフ」が三大グルメ食材であることは、私は「料理の鉄人」で知った。この食にまつわる情報こそ、ガストロノミー(美食学)の真髄だろう。
 「料理の鉄人」の最大の魅力は、茶番劇を見て笑いながら、美食学が学べるという点にあった。

 ではどうすれば「アイアンシェフ」は面白くなるのか。新機軸を打ち出すために以下を考えた。

・主宰と鉄人一名を女性、それも今流行りの美魔女にする。
・主宰は毎回、異なるハデなコスプレ衣装で登場する。
・男性鉄人は若手イケメンからベテラン実力派に戻す。
・試食ではレギュラーで(アメリカンアイドルのサイモンのような)辛口評論家を一名置く。
・ギミックの因縁対決(道場VS神田川、坂井VS山本のような)をたくさん作る。

 この他にも、私なりにいろいろ意見はあるが、詳しくは後日述べことにして本稿はここでひとまず筆をおく。

2013年2月15日金曜日

Beef Wellington



今度は自分で作りました。

オーブンを使った料理をいろいろやってみたいと思います。

2013年2月3日日曜日

ラーメングルメ

 ジェット☆ダイスケ氏の最近のYouTube動画によると、今、人気ブロガーたちの間で、企業タイアップ広告とそうでないものを区分して表示しようというムーブメントが起きているらしい。
 コンビニで自腹で買った缶ビールを飲んで、一言うまいとネットに書き込むと、たちまちステマではないかと書き込みがくる。これでは困る、とジェット氏の弁。
 おそらく書き込んだのは競合ビールメーカーの社員か、マスコミの広告営業マン当たりではないか。広告営業マンにしてみれば、こんなネット広告がありなら、自分たちの媒体に誰も広告を出さなくなる、と思うだろう。
 ジェット氏のような人気ブロガーともなると、スポンサーからタイアップ広告の依頼がくるらしい。だが、当方のように誰もアクセスしないブログには最初から縁のない話。その分、言論の自由は確保できる、と言ったら負け惜しみになるか。
 さて、今回は独断と偏見による個人的なラーメングルメのベスト10ランキングである。こんなものを書いても、ステマだという書込みがないところが、ブログ主としては、うれしいところでも悲しいところでもある。
  

0.店名/最寄駅・場所/ジャンル

1.蔵出し味噌 麺場壱歩/所沢街道/味噌ラーメン
 味噌ラーメン専門店。メニューを読むと味噌の薀蓄が書いてある。味噌の味は北へ行くほど濃く、南へ行くほど薄い。北海道、信州、九州の三種類の味噌スープが選べる。
 店の看板は北海道味噌を宣伝しているが、個人的にはスタンダードな信州味噌がおすすめ。
 あぶりチャーシューも美味。チェーン店らしいので、ここに出すのはやや反則か。

2.なにや/一橋学園/翡翠麺
 ほうれん草を加え、かんすいを除いて打った緑色の麺が翡翠麺とのこと。これは厳密にはラーメンではないかもしれない。サイドメニューの三色餃子もおすすめ。
 
3.生粋/池袋/醤油ラーメン
 秋刀魚の塩焼きを出汁にした魚介類系ラーメン。このため、スープを最初に飲んだときは味噌汁を連想し、醤油ラーメンなのに味噌ラーメンかと思った。

4.竹屋/小金井街道/つけ麺
 つけ麺なるものを初めて食べたのがこの店。いつも行列ができている。両隣も以前はラーメン屋だが、撤退してしまっている。この事実だけで、この店の実力が想像できるだろう。

5.一風堂/博多/とんこつラーメン
 以前、毎年、夏頃に仕事で福岡に行っていた時期があった。そのときに必ず寄っていたのがこの店。とんこつラーメンなのに、あっさりしているのが特徴。 

6.ガチンコ ラーメン道/練馬/広義のつけ麺(移動)
 現在は川崎に移転したらしい。イタリア料理人のラーメン店。看板メニューの「森羅万象柿酢麺」は、いわゆるつけ麺だが、ラーメン風イタリア料理といった一品。スープは酸味がきいていて、森羅万象のごとく、ネギなどの具がスープ内を占拠している。
 ある知人にこれを紹介したところ、これはラーメンじゃないと不評だった。
 なにやの翡翠麺同様、厳密なラーメンの定義からはずれるかもしれない。ラーメンなど軽蔑しているフレンチやイタリアンのグルメにおすすめできる個性的なパスタ料理だ。

7.ガチンコ ラーメン道/練馬/塩ラーメン(移動)
 出汁で勝負する塩ラーメンは、ごまかしがきかないと言われる。これまで塩ラーメンは苦手だったが、初めて心底おいしいと思った塩ラーメンがこれだ。

8.こうや/四谷/醤油ラーメン
 麺が細くやわらかい。よく煮込んだからか、麺を口にするととろけるような食感だ。スープが脂っこくて、飽きてしまうのが難点。
 20年近く行ってないので最近のことはわからないが、昔は週末の夕方になると、店の前に行列ができていた。

9.桂花ラーメン/新宿/とんこつラーメン
 お互い全く面識のない三人の知人から、一番うまいラーメン店として、この店を紹介された。この事実をもってしても、この店の実力が尋常でないことは明らかだ。
 店の人の話では、三回食べるとおいしさがわかるという。私は1回しか食べてないので、コメントする資格があるかどうかわからないが、一番うまいラーメンというほどではなかった。ただ、おいしいことはおいしいというのが、私の正直な感想だ。
 少しくせのある味なので、はまる人はとことんはまる、といった感じのラーメンなのだろう。


10.風味堂/田無/塩ラーメン
 梅干しが入っているのが印象的な塩ラーメン。ベスト10の最後にどの店を選ぶか迷ったが、結局、梅干しが決め手になった。