2010年11月22日月曜日

無料化・低価格化するソフトウェア ニュースから音楽・ゲームまで

ネットの普及でもたらされたものの一つにソフトウェアの無料化・低価格化がある。
いや、プログラムに限定すればネットの普及以前のパソコンの普及からすでに始まっていたといっていい。システムプログラムやライブラリなど20年前、30年前だったら当時の物価で20万円や100万円ぐらいしたものが今では無料になっている、あるいは信じられないくらい安くなっている、ということがよくある。これは単なる技術上のイノベーションのせいで、IT関連技術者はともかく、われわれの日常生活のライフスタイル上に変化を与えるものではない。そうに考えるのが一般的かもしれない。
だがプログラムから始まったソフトウェアの無料化・低価格化の流れは、ネットが普及すると一般人のライフスタイルを変える分野にまで広がってきた。
新聞を購読しなくてもニュース記事はポータルサイトやミクシーで読めるようになった。CDを買わなくても大抵の音楽はYouTubeなどで聴けるようになった。地図を買わなくてもGoogleマップが、百科事典を買わなくてもWikipediaがあれば事足りる。英語の本であれば、Googleブックスで絶版本を無料で読める。
映画、ゲーム、新刊書籍などはまだ無料ですべて消費できるようになったとは言い難いが、この勢いでいけば無料化、低価格化の波は押し寄せてくるだろう。あらゆる種類のソフトウェアが無料または大幅に値下げしているからだ。
そもそもソフトウェアは製造原価が無料で、開発時にだけコストがかかる。だから無料で量産することが可能なのだ。ニュース記事はそれを書く記者の人件費、音楽はミュージシャンの人件費に加え、録音スタジオの使用料、楽器のメンテナンス費などがかかるかもしれない。
いずれにせよ、ハードウェアでは原材料費がかかるからこうはいかない。
ここでよく議論されるのが、新聞社、音楽業界、映像業界、出版業界、放送業界、ゲーム業界が、今後、どうやって稼いでいけばいいのか、という話題だ。ソフトウェアが無料になれば商売上がったりになるからだ。
だが本当に困っているのは例えば新聞記者ではなく新聞社である。同様に困っているのはミュージシャンではなくCD会社(米タワーレコードは倒産している)であり、作家ではなく出版社であり、クリエイター自身ではなく映画業界、ゲーム業界、放送業界の各企業である。
つまりネットの普及によって、ソフトウェアのクリエイターではなくソフトウェアのブローカーが困っているのだ。通販サイトのおかげで中抜きになった流通業者と同じだ。
一番最初に無料化、低価格化の波が押し寄せたIT関連技術者を注目してみよう。彼らはネットが普及した今の時代をどう評価しているだろうか。全員ではないかもしれないが、オープンソース系の一部の技術者たちは今が天国のように思えるかもしれない。ある程度の技術力と英語力があれば、オープンソースのライブラリを利用でき、昔では考えられない高度なソフトウェアを自分一人で作成できるからだ。
ジャーナリストやミュージシャンの中にもネットが普及した今の時代が天国だと考えている人がいるはずだ。
新聞社に勤めなくてもブログがあれば自分を記事を不特定多数の人に自由に発表できる。アルファーブロガーはもちろん、池田信夫氏や上杉隆氏のように、いわゆるしっかりしたジャーナリストに分類できる人の中にも、ネット時代の恩恵を被っている人もいる。上杉氏が日本の記者クラブを批判する理由は、記者クラブを撤廃させた時点でフリーブロガーが大手新聞社の記者と完全に対等に仕事ができるようになるからだ。よい記事が書ければどこの所属していても一流のジャーナリストであり、一流のマスコミ会社に勤務していてもよい記事が書けなければ一流のジャーナリストではない。そういう時代がやってくる。
インディーズのロックバンドもメジャーと何らわけへだてなく、自分の音楽を自由にMySpaceに発表できる。音楽はCDを購入するのではなく、iTunesから1曲ずつ数百円でダウンロードして購入する時代になった。
いずれにしてもよいソフトウェアを供給することは、これまで以上に世の中から求めらている。後はどこでソフトウェアのクリエイターたちが金を稼げばいいかだが、そのへんはどうにかなりそうな気がする。音楽のiTunesのような新しい課金の徴収方法が考案されるかもしれない。新聞社が記者から、CD会社がミュージシャンから、出版社が作家から搾取していた中間マージンがなくなれば、その分、ソフトウェアの真の供給者と消費者の間でソフトウェアを安価に取引できるはずだからだ。

2010年11月14日日曜日

マスコミの「若者の○○離れ」離れを提言

 古代遺跡から発掘した石の文書を考古学者が解読したところ、冒頭はこんな文章で始まっていた。
「近頃の若者はけしからん。嘆かわしい時代になったものだ」
 私は長い間、これをマヤ、アステカ、インカといった古代アメリカ系の話だと記憶していたが、ネットで調べるとメソポタミア文明や古代エジプト文明の話だという説もあり、詳細はわからない。ただ確実なのは、この文書が指す「近頃の若者」は私たちよりはるかに年輩の世代だということだ。ご先祖様、あるいはウルトラ超大先輩といったところか。
私が若い時分も年配者から「近頃の若者はけしからん」を不当に言われ続けてきた。だから自分が年配者になったら年下の世代に「近頃の若者はけしからん」を言わないようにしようと決めていた。
この「近頃の若者はけしからん」はおそらく古代からリレーのように世代から世代へ受け継がれてきたのだろう。自分も上の世代からやられたので、今度は自分が下の世代に同じことをやり返さないと不公平だ、という考えがリレーを継続させてきた。だが悪しき伝統は断ち切るべきだ。自分の世代は苦労したが自分の子や孫の世代には同じ苦労はしてほしくない。こういう考えを持たないと人類は進化できない。

 ところで最近、仕分けられたらしいが、「今年の新入社員は○○型」といったフレーズを毎年、マスコミに発表していたのが民間団体ではなく、公益財団法人であることを初めて知ったときは、心底驚いた。
公益財団法人日本生産性本部は、旧経済産業省所管、現内閣府行政庁の特例財団法人で、日本企業の生産性を高めるための組織である。その組織がサラリーマン川柳のような「今年の新入社員は○○型」を、わざわざ有識人を集めて作っていた。しかも税金を投入して。新入社員を叩いたところで生産性が向上するはずはない。おそらくこれも、古代から連綿と続く「近頃の若者はけしからん」の一形態だと思われる。

「若者の○○離れ」といったマスコミの表現もまた「近頃の若者はけしからん」の一形態であることにはまちがいない。だがこれにはもう一つスポンサーの影も垣間見える。だからさらに悪質だ。
一番昔からある「若者の活字離れ」は出版業界、「若者の自動車離れ」は自動車業界といった具合にスポンサーがマスコミに書かせているパブリシティーなのだろう。
近頃の若者は自動車を買わないが、これは実にけしからんことだ。だから若者よ、当社の自動車を買いなさい。といった広告メッセージをサブリミナル効果のようにニュース記事の中に忍ばせておく。
 最近では「若者のパチンコ離れ」なる記事も発見した。近頃の若者はパチンコをやらずにまじめに勉強したり、仕事をしたりしている。これは実にけしからん、という論旨なのだろうか。
 この分でいくと、「若者の麻薬離れ」、「若者の犯罪離れ」がけしからん、という記事まで出てきそうだ。
 いつになったらマスコミは「若者の○○離れ」離れをするのだろうか。困った話である。
 ここはひとつ、あの世におられるウルトラ超大先輩が幽霊にでもなって姿を見せ、「『近頃の若者はけしからん』はけしからん」と、この世にまだ生きている現役世代にビシッと喝を入れてもらいたいものである。

2010年11月10日水曜日

mixi日記:sengoku38氏の処遇を国民投票で

海保職員「自分が流出させた」 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1402333&media_id=2 


sengoku38氏の処遇について、国民投票で決めるべき。以下の3択から最大多数の処遇を採用するというのはどうでしょうか。 

①国家機密漏洩罪で逮捕 
②国民栄誉賞を授与 
③その他、何もしない 

少なくとも民間がネットで投票して、国民の多数派の声が何なのか、確認してみたいと思います。 

ご意見のある方、3択の投票およびその理由を自由に書き込んでください。 

2010年11月2日火曜日

mixi日記:『KAGEROU』はこんな感じ?

 男は名刺を差し出した。
「ポプラ社編集部 景山太郎」と読める。
 ヒロは受け取った名刺を弄びながら吐息をついた。
 場末のファミレスは客も疎らだった。
 三十分ほど前、ヒロはこの景山と名乗る男に命を救われたばかりだった。
 ヒロは日本国中、知らぬ者はない人気イケメン俳優。彼が出演するテレビドラマはほとんど例外なく高視聴率をマークした。
 ところがひょんなことから所属する芸能事務所の社長と喧嘩して事務所を解雇された。俳優生命を絶たれたヒロは絶望し、自宅近所の橋から川へ飛び降り自殺を試みた。
 そこへたまたま通りかかった中年男がヒロを止めた。男はヒロの顔を見て、ヒロが有名な芸能人であることをすぐに見破った。
 「命を粗末にするやつがあるか」男は怒鳴りながらヒロの腕を引っ張り、力ずくでヒロを近くのファミレスに連れてきた。
「ポプラ社って出版社でしたっけ?」ヒロは尋ねた。
 景山は答えず、おもむろにバッグからノートPCを取り出すと電源を入れた。ウインドウズの画面が立ち上がる。
景山はディスプレイの中央の派手なアイコンを軽く叩く。タッチパネルなのだろう。ディスプレイには『KAGEROU』のロゴが浮かび上がる。
「ところで」景山が言った。「私と組まないか。うちが主催する小説の新人賞に君が応募して当選したことにする。人気俳優の君が書いた小説ということで、マスコミは大騒ぎするだろう。本を出版したらベストセラー間違いなしだ」
「そんなにうまくいくものですかねえ」
「勝算はある」
「ところで・・小説はゴーストライターを雇うんでしょうか」
「いや、君自身に書いてもらう」
「えっ?そんなの無理ですよ」
「大丈夫。そのかわり一つだけ条件がある。新人賞の賞金2千万円は全額受取を辞退してもらう。いや、正確には2千万円で君には『カゲロー』を買ってもらう」
「カゲロー?何ですか、それは」
 景山はノートPCのディスプレイをヒロに向けた。
「これが自動小説作成システム、『カゲロー バージョン1.0』だ」
 景山は『カゲロー バージョン1.0』について詳しく説明した。
まずブログの文章をシステムに入力する。するとブログを書いた人の文章のくせ、つまり文体がPCにインプットされる。次にその文体で自動的に小説が生成される・・・。
「そんなのインチキじゃないですか。ぼくが小説を書いたんじゃない」
「違う。君自身が小説を書いたのと同じなんだ」
<続く>

2010年11月1日月曜日

mixi日記:尖閣ビデオ非公開の真相について

尖閣ビデオ視聴「鮮明に衝突」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1392260&media_id=4

「ビデオを公開せよ」との書き込みは、mixi以外でも無数に目にするが、では政府は本当のところなぜ公開しないのか、非公開の真相は何なのか、といった議論はあまり目にしない。
公式声明では、「もし公開したら、そのあまりの内容に日本国民が中国に激怒して、日中戦争になりかねないから」とのことだが、これだけの説明で納得いくだろうか?
実際にわれわれがビデオを観たときに、なるほどこれなら政府が公開を躊躇したのも無理はない、と合点がいく理由がそこにはあるはずだ。
ネットの噂では中国人が海保官を海に突き落として、銛で攻撃したとのこと。
ここからは私の勝手な推理だが、銛で体を打ち抜かれた海保官のグロ画像が写っているので、編集または修正なしには公開できないのではないだろうか。
最近、殉職した自衛官の葬儀に管首相が出席しているが、実はこの中に、今回尖閣で殉職した海保官もともに葬られたのではないだろうか。死者が出たことが暴露されれば、世論は今よりヒートアップするはずだ。それを政府は恐れているのでは。

正しい情報が与えられなければ、正しい判断はできない。民主主義国家なら国民には知る権利があるはずだ。
ビデオの非公開は政府から「おまえたち国民には真実を知る必要はない。自分たち政治家が正しい判断をしてやるから、おまえたちはそれに従っていればいい」と言われているようなものではないか。

ネットでは国内外の様々な陰謀論が入手できる。真実もあればガゼネタもあるだろう。アフガン戦争の機密文書を暴露したウィキリークが米国では話題騒然だ。
こういう時代だからこそ、内部告発者がYouTubeあたりにビデオをアップしてくれないものだろうか?