2011年11月19日土曜日

日本と世界の未来予測⑧(最終回)

10. ”価値観の多様化”は死語に


さて、いよいよ「日本と世界の未来予測」も今回が最終回である。

”価値観の多様化”という語がある。
実は「××白書」といった役所の刊行物でよく使われる語だ。

明治以降、農村から東京へ大量に人口が移動した。
国民が自発的に民族移動をしたというより、日本政府がそのように誘導したというべきだろう。
だがそれに気づいた国民はほとんどいなかった。
おかげで農村は過疎、都市は過密という問題が起きた。

60年代、70年代の大量生産、大量消費時代には、国民のライフスタイルは画一的だった。
みんなが同じときに同じものを買い、同じものを食べ、同じテレビ番組を見て、休日には同じ行楽地へ遊びに行く。
タクシーに乗ると、運転手が昨晩の巨人戦の話を始める。
国民の大半がテレビでその野球中継を見ているので運転手の話題についていける。
こうしたことに国民は疑問を抱かなかった。

ところが80年代ころから国民の覚醒が始まる。
少しずつ自分の意見を主張するようになる。
その頃から「××白書」は”価値観の多様化”という語を使い始めるようになった。

だが”価値観の多様化”とは、ロボトミー状態から抜け出し、本来の人間らしさを取り戻した国民が、政府の情報操作通りに行動せず、自分の真の幸福を模索し始めた状態のことだ。

ネットが普及して様々な情報が入手できるようになると、国民は政府の情報操作に敏感になってくる。
大新聞や地上波テレビの情報を手放しでは信用しなくなっていく。
マスコミのニュースは受け入れる前に、自分の頭でよく考え、咀嚼し、吟味する。
それでもまだ疑惑が残る。
これが21世紀の健全な国民の知性だ。

テレビは国民の情報操作に最適ツールだが、ネットは国民の覚醒に最適ツールだ。
覚醒した国民が、今度は真に幸福な人生と社会を模索していく。
この動きは世界的なものだ。
21世紀の次の10年は、新しい形態の民主主義が到来する社会になるだろう。

  ”Show me what Democracy looks like! This is what Democracy looks like!”

(終わり)

日本と世界の未来予測⑦

9. 特許からオープンソースへ

21世紀は特許からオープンソースへ、コピーライトからコピーレフトへソフトウェアが移行していくのかもしれない。

そもそも特許は、発明者にある程度の報酬を与えるためにできた法律だった。
だが一定期間が過ぎると、特許に申請した技術は人類共有の財産となり、発明者の独占権は消える。
永遠に発明者に技術の独占権を与えていては、技術の進歩は滞る、という考えが特許法の立案者にもあったと思う。
現行の特許法では出願から20年間、特許は有効だ。だがドッグイヤーで進化するIT業界では20年は長すぎる。20年間、発明者にしか無償で新技術を使えないのは痛い。

そこでオープンソースという考えが普及してきた。

オープンソースの開発者はソースコードの独占権を放棄する代わりに、利用者にも独占権を放棄してもらう。
利用者は開発者の了承を得ることなく、自由にオリジナルのソースコードを改良できるが、改良したソースコードもまた、オープンソースにしなくてはならない。つまり独占的利用権はない。
オリジナルの開発者は利用者がバージョンアップしたソースコードを無償で利用でき、お相子になる。発明のマイナーチェンジを許すことで、技術進歩はまたしても加速する。
最初はソフトウェアだけだったが、あらゆる工業製品はCADで設計する時代である。ハードウェアの設計情報もソフトウェア化し、オープンソースの考えが普及している。

すぐれたソースコードは人類共通の財産にすることで、技術は急速に進化していく。
技術のオープンソース化は特に後進国が先進国に追いつくのに役立つ。
だからいくつかの米国企業は、アフリカへのODAなどと同じような社会貢献目的で、オープンソースの普及に尽力している。

特許がすぐなくなるとは思えないが、21世紀後半までには多くの発明者が特許を放棄し、オープンソース化するのではないかと思われる。

芸術作品の著作権についても同じことが言えるかもしれない。
ネットでは同人誌の二次小説、二次漫画などという言葉をよく目にする。小説や漫画のオープンソース化といったところか。
そもそも古代の神話や伝承はオープンソース物語だった。小説の著者が著作権を主張するようになったのは近代小説からだろう。改訂版のベルヌ条約は1971年にできたとのこと。

ネットのおかげであらゆるソフトウェアが無償化または低価格化した。PCのプログラム、ニュース記事、音楽、映像、アニメ、ゲーム、そして書籍…。

オープンソースは工業製品から芸術作品まで、人類のあらゆる創造物を人類の共有財産にしていくことで、特定の階層でなく、人類全体を豊かにしてくシステムかもしれない。

(続く)



日本と世界の未来予測⑥

7. 日本とアジアを飛躍させる飛行艇産業

戦前、日本は飛行艇の生産技術で世界最高水準にあった。飛行艇だけでなく、陸上機においても同様だった。
レシプロ式戦闘機の高い性能がそれを証明している。
だが戦後、米国からの圧力で日本は飛行機を作れなくなった。日本に優れた戦闘機を作られては勢力均衡上、または地政学上、よくないと判断したのだろうか。
ところがここへきて、準国産ボーイング787が出来るなど、宗主国米国からようやくお許しが出たようだ。

さて、飛行艇だが、もともと陸上機と比較して機体が重いなどの欠点があり、廃れてしまった経緯がある。だが飛行場を建設しなくていいことから、島国日本では、大きな利用価値が期待されている。
飛行艇は生産するだけでなく、利用しても日本に経済効果をもたらす。

現在、ロシアではジェットエンジンの飛行艇がある。
また水陸両用で飛行場に車輪を出して離発着できる飛行艇もある。
さらには、スペースシャトルは飛行艇の方が作りやすいという意見もあるようだ。
技術大国日本が全力で飛行艇開発に取り組めば、世界最高水準を奪回するまで、それほど時間はかからない。

飛行艇は離島への物資の輸送によく使われる。飛行場のない離島へは陸上機は使えず、ヘリコプターや船舶ではスピードが遅いということだろうか。
海底ケーブルで離島でもインターネットが利用できるようになった昨今、後は物資の供給が十分になれば、離島に住むことのハンディーキャップは大幅に減るはずだ。

これまで過疎地だった離島の人口が増え、それなりに経済発展すればどうだろう。もともと自然環境には恵まれた地域だけにGDPだけでは評価できない豊かさを住人たちは満喫できるはずだ。
飛行艇製造工場をこうした離島に作ってもいいかもしれない。
いずれにせよ、飛行艇はこれまで交通網が確立されていなかった地域を結ぶのに使うべきだ。

たとえば、今後、東アジア共同体が活性化し、特に朝鮮半島(このブログで私は南北朝鮮統一国家を予測した)と国交が正常化すれば、佐渡は日本海貿易のハブ基地として発展できる。
佐渡から飛行艇を飛ばし、ウラジオストック、朝鮮半島、大連などを日本海側の諸地域と結びつけるのである。日本海側は太平洋側にくらべ、これまで産業が遅れていた地域である。
小樽、秋田、山形、北陸(特に新潟)、山陰、福岡まで、佐渡発飛行艇のおかげで経済発展できる。

同じことが沖縄にも言える。沖縄は上海、香港、シンガポール、東南アジア、台湾、そして九州まで沖縄発飛行艇が人と物資を運ぶのである。沖縄はアジア経済のハブ基地となる。

日本以外ではインドネシアやミクロネシアが飛行艇の恩恵を被るだろう。


8. 官主導ガラパゴスから民主導ジャパニーズクールへ

日本のエレクトロニクス業界を”ガラパゴス”と最初に揶揄したのは野村総研だったと思う。
iモードやワンセグのように、日本の携帯電話は、海外にない日本独自のインフラや業界標準があり、それなりに発展しているが、世界市場へ製品を輸出するときにこれが足かせになる。
輸出するには世界標準を採用しなければ不利だ。
だから世界市場では例えばアップルのiPhoneのようなスマートファンに勝てない。
iモードやワンセグはどんなに発展していても、外国では使えない。まるでガラパゴス諸島の島内だけに生息する動植物のようだ。
これが”ガラパゴス”の意味である。

野村総研は悪い意味でこの語を使ったのだが、よい意味で使われることもあるようだ。
日本の漫画やアニメ、ゲーム、それに付随するコスプレなどのオタク文化は、日本独自のものでありながら海外では”ジャパニーズクール”などと呼ばれ、高い評価を受けている。
だから”ガラパゴス”は悪くない、という意見もある。

結論から言えば、今後、官僚主導のガラパゴスはだめで、民間主導のガラパゴスはジャパニーズクールに化ける可能性を秘めていると思う。

次世代インフラは何が業界標準になるか正確には予想できない。予想できないにも関わらず官僚が税金を投入して投資するのはリスクが高すぎる。ここは自己責任で民間企業に自由に泳がせ、様子を見た方がいい。

中国が髭剃り付携帯電話を作った。”何を作るか”について民間に自由に任せれば、今後、こういったサブカルチャーエレクトロニクスが中小企業から出てくる可能性がある。そのうちのほとんどが消滅するかサブカルチャー止まりだろうが、ごくまれに産業のメインストリームになりそうな技術が出てくる。
ここで初めて官僚の出番である。民間発のメインストリーム候補の技術について、税金を投入して支援していけばいい。”選択と集中”とはこのことだ。

(続く)




日本と世界の未来予測⑤

6. パーソナルファブリケーションによる産業革命

当たり前のことだが、工業製品は時代とともに進化する。
進化するのは製品だけではない。製品を設計したり、製造したりする生産技術もまた、製品自身とともに進化する。
19世紀は家内制手工業が主流だった。作る製品は特注品だった。
20世紀になると大量生産大量消費時代に突入し、量産によるコストダウンが実現した。
そして迎える21世紀。二つの世紀のイイトコドリを実現する方式、すなわち多品種少量生産にしてコストダウンも両立させた新たな生産技術が確立しようとしている。
それがパーソナルファブリケーションだ。
最も関連する業界は電気製品、次いで自動車だろう。

自作PCやホワイトボックスPCは、パーソナルファブリケーションという語ができる以前に、それを具現化した例と言える。
70年代のコンピュータは今日の電卓程度の処理能力にも関わらず、何億円もかかる代物だった。ところがAT互換機がオープンソース化し、構成部材を標準化して量産したため、10万円程度の予算と本棚を組み立てる手間暇で自作PCが素人にもベンチャー企業にも作れるようになった。

もともとパーソナルファブリケーションという語は、3DプリンタとCADソフトの高性能低価格化を指す場合が多い。
だがそれ以上に、エレクトロニクス分野では、システムLSIやIPコア、ソフトウェア・ライブラリなどの高性能低価格化に加え、システムメーカーと半導体メーカーの分離があり、要素技術としてパーソナルファブリケーションが着実に確立しつつある。
ファブレス、ファンドリ、EMS、OEM生産…。こうした業界用語からして、工場がなくてもメーカーになれるという発想は、エレクトロニクス関連分野が一番進んでいるのだろうか。


町の電気屋さんが特注やオリジナル商店ブランドで電気製品を販売。狭い部屋用の細長い規格外冷蔵庫などができるかもしれない。
またアマチュアがホームセンターに行って部材を買い、日曜大工感覚で炊飯器や掃除機を組み立ててしまうということもあるかもしれない。


ところで電気製品に当てはまることが、自動車業界にも当てはまる。

ドイツのカール・ベンツが発明した自動車は、1台ずつ特注で生産していた。このため価格は高く、一部の富裕層しか自動車を買えなかった。
ところがアメリカのヘンリー・フォードは、部材を量産化することで生産のコストダウンを実現。自動車は広く世に普及することとなる。
量産品の自動車は特注品と違い、普通の人が買える値段なのが魅力だが、ユーザーに仕様を押し付けるきらいがあった。
ところがここへきて、EV自動車をベンチャー企業やアマチュアでも作れる時代が到来した。
要はEV化によって自動車が"電気製品化"したからだ。


これまで大企業が自動車メーカーで、中小企業が下請けとなって自動車の部材を生産していた。
だがこれからはベンチャー企業が自動車メーカーとなり、その下請けとして工場を持つ大企業がEV向けに標準化したモーターやバッテリ、フレームを生産する時代になるかもしれない。
また秋葉原では自作PCパーツ屋の隣に自作自動車パーツ屋、自作バイクパーツ屋が並ぶかもしれない。

(続く)





2011年11月18日金曜日

日本と世界の未来予測④

5. 首都圏一極集中から地方分散へ

21世紀半ばまでには、日本の人口は首都圏から地方へ流れていく。過密地から過疎地へ人口の逆流である。
今後、日本の居住地は、東京、大阪、名古屋などの大都市の他、一般地方都市、兼業農村地帯、専業農村(第一次産業)地帯に大別される。
比率的には、大都市12%、一般地方都市25%、兼業農家48%、専業農家15%となり、一般地方都市と兼業農家を併せた73%の住人が平均的な日本人のライフスタイルとなる。
大都市には外国人が流入し、そのせいで多くの日本人が地方や外国へ移住する。
法的規制は緩和され農林水産業への新規参入は自由にできるようになる。
これにより、農業就業者の平均年齢も大幅に若返る。

32ビットRISCチップを搭載した、全自動スマート農機、ロボット耕運機のおかげで、素人でも簡単に農業に参入できるようになり、しかも農業労働時間は大幅に短縮される。

兼業農家は主に自給自足のために農作物を栽培し、余った作物は小遣い稼ぎに販売するに過ぎず、生活費は別の仕事で補う。
農家を増やすことは第一に国内の食料自給率を高めることを意味する。
食料を外国からの輸入に頼っていては、外国から支配を受けることになる。国が自立するために高い食料自給率が必要だ。
同様に食料の自給自足は、農家個人が国の支配から自立することも意味している。

行政がブロードバンド「光の道」を日本国中に整備したおかげで、兼業農家は在宅勤務で様々な仕事が選択できるようになる。
「光の道」の利用料は1500円/月。これでテレビ、電話、ケータイ、インターネットのすべてが使い放題で利用できるのだ。
一方、近場の一般地方都市へ通勤する人もいる。サテライトオフィスやノマドワーカー用カフェは大都市へ行かなくとも、駅前には必ず見つかる。

兼業、専業の住民たちは自然環境に恵まれた地域に住む一方、ネット通販と地元のショッピングセンターのおかげで、都市部に出かけなくとも必要なものはすべて揃う。

一方、一般地方都市は、大都市にあるすべての施設を備える。特にマスメディアの中核施設であるローカルテレビ局、ないしローカル配信局がすべての駅前にある。

都市、地方を問わず、建造物はすべて外断熱方式が採用され、冷暖房光熱費は削減される。
あらゆるビル、マンション、家屋の屋上にはソーラーパネルが敷かれ、蓄電池と自家発電装置が設置される。エネルギーはオール電化。
自家発電装置の燃料代を払えば、電気代は節約できる。
固体核融合が発電の主流になり、燃料の重水素はペットボトル入りで、コンビニや自動販売機で買える。
公共の固体核融合発電所は、近所の児童公園内に設置される。大規模な発電所の建設は必要ない。消費地に近いため、送電のエネルギー損失が少なくて済む。
この他、自家発電付エアロバイクやルームランナーが大流行。
余った電力でロボット家電を動かし、家事労働を減らすのが21世紀のライフスタイルとなる。
食料を自給自足できるのは農家だけだが、エネルギーはすべての人が自給できる。
生活に必要なのは後は水道代と前述の「光の道」代だけである。
できればどんな地方にも下水道は完備してもらいたいものである。

(続く)






日本と世界の未来予測③

4. 主権は国家から連邦と地方へ

21世紀半ばまでには、おそらく、主権国家の時代は終わっているかもしれない。
代わりに国の外枠と内枠が強化されると思われる。
日本は国連に所属する。東アジア共同体にも所属している。これが日本の外枠である。
一方、日本は都道府県を含み、都道府県は市町村を含んでいる。これが日本の内枠である。

国連ないしそれに代わる世界政府は、これまでより権力を持ち、ある程度まで国の主権を制限していく。ただし、国を絶対的に支配する力はない。
東アジア共同体も然りである。
EUが単なる経済的”条約”から、統一政府の大統領を選出するまでに至った。これは将来的に単一国家的に活動したい、という思惑があるからだろう。
だとしたら東アジア共同体にも統一政府と大統領が必要になるかもしれない。そうなれば、日本の主権は東アジア共同体にある程度、制限される。
これが外枠の話である。

一方、内枠でも同じことが言える。
今後、都道府県から道州制が導入されるという話がある。
州には都道府県よりも権限が与えられるのだろう。半独立国家である。
州と国で見解が異なれば、すべて国が州ねじ伏せる、というわけにはいかない。法律で定めた範囲内でしか、州を取り締まれない。これは現行の国と国連の関係にやや近い。
一方、市町村と州の関係も同様である。市町村の意見を州がすべて制限してはいけない。
各地方自治体がばらばらの意見を言えば、収集がつかなくなる、という意見もあるかもしれないが、要は程度の問題だろう。
常任理事国が国連に運営するように、市長が州議員に、州知事が国会議員や閣僚になる仕組みを作れば、地方自治体の意見が尊重される。
これが内枠の話である。

自治体の最少単位である市町村だが、市議会議員を町内会やマンションの理事会のように、あるいは裁判員制度のように、市議会議員ないし、それより小さい町議会議員を、当番制で国民に担わせるという制度を私は提言したい。
国全体の問題ではなく、自分の住んでいる地域の問題だから、たとえば原発を近所に建設するのは反対だというように、一般市民も意見が言えるだろう。
直接民主制である。
さらにはネットを使った国民投票制を活性させ、たとえばTPP賛成か反対かを国会ではなく、国民投票で決めるのである。選挙でしか意思表示のできない民主主義よりは、よほど理にかなっていると思うのだ。
オキュパイウォールストリートの言葉で言えば、これこそが”This is what Democracy looks like”である。
そしてまた、こうした直接民主制の導入に備え、小中学校の義務教育の段階で、国民は十分な政治教育を受ける。いつ自分が当番制”政治家”になっても困らないためだ。


21世紀中には人々は国民というアイデンティティーから様々な意味で解放されると思うが、政治面では国の外と内に包囲網を作ることでそれが実現される。
これは国の暴走を抑えるシステムと言える。
しかしそれでいながら、国の権威は消滅するのではなく、外枠、内枠にくらべ、依然として強固な最終意思決定機関である必要もあるだろう。

(続く)






日本と世界の未来予測②

3. 分裂するアメリカ合衆国と台頭するアジアンヘゲモニー
経済破綻した米国は、かつてのソ連のように、複数国家に分裂する。
もともと米国の50の州は日本の都道府県にくらべると自立性が強く、独立国家になりうる下地ができている。だが現実的には米国が50に分裂するのではなく、近隣の州が連合して複数国家を形成すると思われる
では米国はいくつに分裂するのか。
ネットでは四つないし五つに分裂するという説があるが、私見ではニューヨーク、ワシントンDCを中心とする東海岸国家(東アメリカ)とロサンゼルスを中心とする西海岸国家(西アメリカ)の二つだ。国連での常任理事国の地位は東アメリカが継承する。
環太平洋つながりで、日本は西アメリカとお付き合いが深くなる一方、EUと結びつきが強い東アメリカと疎遠になる。シリコンバレーは西アメリカなので、ITなどハイテク関連技術は従来通り、日本にスムーズに入ってきれくれたら、うれしい。
東西分裂をもって、米国は超大国覇権を失い、国際社会の中で第二次大戦後の英国のようになる。つまり、政治、経済、軍事、科学技術、文化、芸能スポーツ、サブカルチャーのいずれの分野においても、先進国だが、ずばり地球を代表する国ではなくなる。
世界各国へ派兵している米軍がのきなみ撤退。イスラエルは消滅し、パレスチナ共和国に。北朝鮮は消滅し、半島は南北統一国家が誕生。日本、韓国とも在日米軍、在韓米軍はいなくなる。
米国領のハワイやミクロネシアの島々は親日的な独立国家となるか、日本領となる。
国際連合は消滅して別組織を作るか、常任理事国を大幅改定。日本、ドイツ、ブラジル、インドあたりが名乗りを上げる。

米国ともどもEU圏は破綻しかけるが、この地域ではドイツがイニシアティブを握る。
アフリカは南アフリカ共和国、アラビア諸国はドバイ、エジプト、新生パレスチナ共和国あたりが中心になり、政治的、経済的なブロックを構成する。
ブラジルは南米のみならず、南北アメリカの中心国家に。また北アメリカではカナダが東西アメリカと対等かそれ以上の存在になる。
また南半球ではブラジル、南アフリカ共和国以上にオーストラリアが経済大国として急速に台頭してくる。

アジアは中国、ロシアを中心に東アジア共同体を形成し、EUやUSAに匹敵する”アジア合衆国”を目指す。やがてこれにインド、オーストラリアが加わる。
中国、ロシアに挟まれたモンゴルは永世中立国として欧州のスイスのような国家に。
日本は旧大日本帝国領、つまり南北朝鮮、台湾、ミクロネシア諸国と国家連邦を形成し、中国、ロシアと対等の立場で”アジア合衆国”へ参画する。
日本、韓国の工業技術と経済力をプラスした中国は、いよいよ20世紀の米国に代わる超大国に浮上する。
だが最初の段階では日本を含む極東が中国をリードしていかなくてはならず、”アジア合衆国”のスタートはわが日本がリーダーシップを握らざるを得ないだろう。

以上、希望的観測を含めた未来予測でした。
(続く)









日本と世界の未来予測①


今後の日本と世界の未来を自分なりに予測してみました。

1. メディア改革
21世紀半ばまでには、NHKを含むテレビのキー局や大新聞が衰退するか、現在とは違った形態になっているだろう。
複数のフリージャーナリストやカメラマンたちが小規模LLCを作り、ネット動画や、ブログで記事を配信するメディアがマスコミの主流になる。もちろん、ワンマンジャーナリストのメディアもできる。
一国だけでなく、世界中の視聴者や読者がアクセスする英語メディアも登場する。
一方、市町村単位のローカル局を標榜し、地元の飲食店などの広告費を収入源としながら、地元を舞台にしたテレビドラマを作成する動画配信局も登場する。
国民のパニックを抑える、社会的騒乱を防ぐなどの目的を除き、政府や大企業が不当な情報操作をすることを禁じる法律ができる。
これにより、メディアによって取り上げるニュース、時事問題に対する見解が異なり、受け手側が自分で考えて情報を取捨選択する時代がくる。

2. 多民族国家日本
経済破綻した米国から日本に大量の移民が押し寄せる。また北朝鮮と韓国が統一政府を樹立し、このときに特に北から難民が日本に押し寄せる。この他、中国、東南アジア、インドからは慢性的に移民がやってくる。北海道、東北地方にはロシアからの移民も少なくない。
これに対し、日本人はオーストラリア、ニュージーランド、他のアジア諸国などへ移民する人が増加する。
国際結婚が増え、英語が公用語となる。この傾向は世界的なものでネットを通じて世界中の人がSNSなどで自由にコミュニケーションするようになる。このため、政府は一国だけの利害を考えた世論を形成しにくくなる。
やがて米国人とのハーフ、またはクォーターが人口の多くを占めるようになり、日本の中流階級を形成していく。一方、純血の日本人は人口的にも社会的地位面でも”アイヌ化”する。
多民族国家になることで一時的に治安は悪くなるが、米国の土木建築の基準が採用され、人々は広い家に住めるようになる。日本的な悪しき慣習、職場の同僚たちの”飲みニュケーション”や”しがらみ”は過去のものに。
一方、オーストラリアでは国民の半数近くが日系人(ハーフ、クォーターを含む)となり、日本語が第二公用語に。移民当初、彼らは差別されるが、勤勉な日本民族の血を引く彼らとその子孫たちのおかげで、オーストラリアは世界有数の経済大国に発展する。日本文化の多くはこの地で継承される。


(続く)
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次号の予告(タイトルは諸事情で変わることがあります)

3.  分裂するアメリカ合衆国と台頭するアジアンヘゲモニー

4. 主権は国家から連邦と地方へ

5. 首都圏一極集中から地方分散へ

6. パーソナルファブリケーションによる産業革命

7. 日本とアジアを飛躍させる飛行艇産業

8. 官主導ガラパゴスから民主導ジャパニーズクールへ

9. ライセンスからオープンソースへ

10. ”価値観の多様化”は死語に







2011年10月22日土曜日

"Occupy Wall Street"が意味するもの

ここ最近、一番気になっているニュースが「Occupy Wall Street(OWS)」だ。
現在、活動開始から58日目(11月13日現在)。
リーダー不在の活動という建前だが、これは嘘だろう。
リーダーが不在だと信じて活動しているアメリカ人が多数いる、というだけの話だ。
リーダーが誰なのかよくわからない組織。これはどこかで見たことがある。
カダフィー大佐のように、リーダーの顔がはっきりわかっていれば、彼を倒せば組織自体を倒したことになる。
だがリーダーが誰かわかっていなければ、組織を潰しにくい。
当初、700人の逮捕者が出た。普通はそれでデモが終わるはずだった。
だが、OWSはネットで全米にこのニュースを報じたところ、逆に2000人の新たなシンパがデモ参加した。
当局としても、下手にデモ参加者全員を敵に回すのは、不利だと考えたのか。各界著名人はもとより、オバマ大統領までがデモに一定の理解を示すようなコメントを出している。
少なくともマスメディアには、デモを根本的に避難するようなコメントを発表した著名人はあまり聞かない。
もちろん、当局の本音はそうではあるまい。彼らを刺激しないためのリップサービスだろう。本当は彼ら全員を今すぐにでも、ウォールストリートから撤去したいはずだ。
これから冬になる。2月になればニューヨークの夜の気温はマイナス30℃まで冷え、この次期、地下鉄のホームに居座るホームレスたちが凍死する。
当局としては、このまま時間が経てば、寒さで彼らも自滅すると考えているのか。
しかしながらOWSのリーダーたちもそのあたりは、計算ずくだろう。

さて、OWSの実質的なリーダーであるが、板垣英憲氏のブログではペンタゴンの良識派たちであるという。確かに元軍人や退役軍人がOWSではデモ参加者の前でよくスピーチしているようだ。
金融ユダヤ人たちに操られた米国軍産複合体は、国家デフォルトを避けるべく、第三次世界大戦を画策しているという。そこでペンタゴンの良識派が立ち上がり、金融ユダヤ人たちの暴走を食い止めようとした。これがOWSのデモというわけだ。
デモの参加者たちの多くは住宅ローンが払えず、やむなくホームレスになった人たちであり、ズコビッティパークなどウォールストリート界隈の公園にキャンプを張って住み込み、OWSから支給される宅配ピザを食べて食いつないでいる。おそらく実質的にはデモのバイトをやっているのだろう。

アフリカ諸国の似たようなデモが、政府に対するデモに対し、なぜか米国では「Occupy Washington DC」でも「Occupy White House」でもなく「Occupy Wall Street」なのである。もちろんホワイトハウス前でもデモはあった。だがOWSの本部はウォールストリートである。
これはオバマ大統領は傀儡で真の政治の黒幕はウォールストリートにいる、ということを知っている者がOWSのリーダーだということになる。そうであれば、やはりそんなことは知らない一般のアメリカ人が自由に参加しているわけではなく、政治的力を持った勢力がOWSを動かしているということになる。

ところで、OWSの最終目的は何なのか。global revolution(世界革命)なる語を標榜しているようだが、もう少し現実的なのところでは、現行のFRBを倒してドルの発行権を一部の金融ユダヤ人から国に取り戻そうということなのか。

米国政府はTPPで日本から金や資産を巻き上げる前にOWS対策を何とかするのが筋だと思うが、属国日本のメディアではOWS関連のニュースはあまり報道できないようだ。本来はシリーズ化して、毎日報道してもいいニュースバリューである。



2011年10月5日水曜日

ケイナー射手座日報

生まれ変わりを信じている人はたくさんいます。少数の人はさらに熱狂的に信じています。彼らに言わせてば、魂は同時に二つ以上の肉体に宿ることができる、とのことです。考えてください。何でも信じる人がいるのです。
こうした考えについて、私はコメントしたり、評価したりするつもりはありません。私はただ空で何が起きているかを話します。そしてあなたは私の占いを読んでどう対処するか決めることができます。このような他愛ない話を私がどう考えているかについて、あなたに話したい誘惑に私は耐えています。
でも、それはあなたが同時に二つの場所にいることを説明しています。

2011年10月4日火曜日

ケイナー射手座日報

私たちは毎日、道徳的なジレンマと葛藤しています。偽善的に見える選択を正当化する一方で、互いに相容れない要求を調整しようとしなければなりません。私たちに分別があるなら、ものごとを完璧にはできないことがわかります。宇宙人から見れば、地球は「矛盾だらけの星」です。地球は、あなたがいつまでも苦しみたいと思うとき、行くべき星なのです。
今のばかげた状況に悩まないでください。自分のペースで進んでください。広い心を持ってください。

2011年8月28日日曜日

海外旅行のグルメベスト10

ここ最近、引きこもりがちで海外どころか国内もろくろく旅行していませんが、CNNの海外旅行者向け世界のグルメベスト50選がどうしても気になったので、自分なりにグルメベスト10を選んでみました。
CNNへの反論というよりは、自己主張といったところでしょうか。

1.骨付きカルビ(ソウル)
伊丹十三監督のグルメ映画「たんぽぽ」で一番美味しそうだった料理が、鋏で肉を切って焼く料理。それが骨付きカルビだと知ったのはそれから10数年後の韓国旅行のとき。店のお姉さんたちが鋏で肉を切っているのを見て、「たんぽぽ」を思い出しました。
日本の焼肉屋で食べるカルビと比較すると、肉に少し酸味があるのが特徴でした。

2.plȃte de jour《日替わりランチ》(ジュネーブ)
ジュネーブで私がレストランに入ると、ウエイターのお兄さんたちが笑いながら集まって何やら相談。さしずめ「東洋人の客が来た。言葉は通じないし、どうしよう」と話していたのだと思います。やがて一人のウエイターがやって来て英語で応対。私はメニューの「plȃte de jour」を指さしました。
「plȃte de jour」はフランス語で、直訳すると「今日の料理」です。日本の「日替わりランチ」に相当する語でしょう。
茶碗蒸しのような蒸し焼き料理が三つぐらい皿に乗っていました。キノコや野菜、肉などの具がゼリーで円柱状に固められていました。テリーヌとは違い、温かい料理でした。


3.魚と野菜炒め(香港)
昔、社員旅行で中国へ行きました。深セン市だったと思うのですが、チャーハンで有名なレストランの奥のホールを貸切でコース料理を食べました。チャーハンは2種類出てきましたが、どちらも特に印象はありません。むしろ、その店で中国人客が食べている点心の方がおいしそうだと、社員たちが噂していました。
その日の夜、当時まだイギリス領だった香港に戻り、野外の屋台料理を食べました。汚らしい場所でしたが、メニューの広東語が読めないと察したウエイトレスの老婆は、おすすめ料理を何品か持ってきました。その中の一つに料理名はわからないのですが、記憶に残る料理がありました。
野菜炒めに入っている、蒸した魚肉がとても香ばしく、おいしかったです。


4.ソーセージ盛り合わせ+ビール(ミュンヘン)
池袋のビアホールでも同じ料理が食べられることを知ったのはドイツ旅行から帰った後でした。ただしビールはやはり本場ドイツが一番だと思います。
キレが好きなキリンビール派はドイツやフランスのビール、泡が好きなアサヒビール派は香港のビール、苦味が好きなバドワイザー派はオーストラリアのビールがおすすめです。

5.チーズ盛り合わせ(パリ)
刑務所のメシまでうまいと言われるグルメ大国のフランスでは、まずいものを食べること自体が難しいかもしれません。レストランで出される安いテーブルワインもはずれがありません。
しかしながらパリで食べたナチュラルチーズの盛り合わせでは、1種類だけ生臭くて食べられないチーズがありました。本で調べたところ、おそらくウォシュチーズかシェーブルチーズだと思います。
それを減点しても、他のチーズがおいしかったので総合5位に評価しました。

6.プライムリブ(ハワイ)
プライムリブはどこの国で食べてもおいしいでしょう。ただハワイは観光客が多いので、ホテルのレストランも彼らの舌に鍛えられ、料理のレベルも比較的高いのではないか、と推察します。

7.シーフード盛り合わせ(シドニー)
海老や蟹、貝などをゆでた料理です。料理自体はシンプルですが、食材が大振りで新鮮なので、おいしかったです。
シドニーではオージービーフのステーキもいただきました。まずくはないですが、やや肉が厚すぎて食べるのが大変でした。

8.ホットドッグ(シカゴ)
仕事で単身、シカゴに行ったときのことです。
シカゴの展示会場内では、ランチにホットドッグとシカゴピザが用意してありました。会場内のアメリカ人はみんなホットドッグを注文し、なぜかシカゴピザを頼む人はいませんでした。
展示会の初日、私はホットドッグを注文しました。大振りのソーセージはとろけるくらい柔らかく、おいしかったです。ホットドック自体は日本でもいくらでも食べられますが、こんなにおいしいホットドックは初めてでした。
展示会の二日目、今度はご当地名物シカゴピザを注文しました。シカゴピザは厚い生地が平面と言うより、少しすり鉢状になっていて、そこにチーズの海があり、肉やシーフードや野菜などの具がときには重なるようにぶち込まれています。まずくはないですが、シカゴピザを食べた後、私は腹を壊しました。

9.目玉焼き《イージーオーバー》(アナハイム)
目玉焼きには片面焼き「サニーサイドアップ」と両面焼き「イージーオーバー」があることを、アナハイムのホテルで朝食を食べているときに知りました。それ以降、日本に帰ってからも、しばらく「イージーオーバー」にこだわるようになりました。

10.紅茶(ロンドン)
紅茶は英語で「black tea」、つまり黒茶です。なぜあの色が黒なのか疑問でしたが、ロンドンのホテルで紅茶を飲んだとき、すべての謎が解決しました。コーヒーと区別がつかないくらい液体が黒いのです。味はコクがあり、びっくりするほどおいしかったのを記憶しています。
イギリスは料理がまずいので有名ですが、紅茶に関しては例外です。

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番外編:帰国後のお寿司(東京)
最近では海外へ出かけても容易に和食にありつけますが昔はそうではありません。私が初めて海外へ旅行したのは80年代ですが、1週間まるまる和食抜きの生活でした。日本に帰国するとたまらず寿司屋に飛び込みました。最近、寿司はインターナショナルの料理になり、ニューヨークのデリでも売っています。



2011年7月30日土曜日

ケイナー射手座 8月

間違った理由で親切になる人がいます。他人を助けたいからではなく、罪悪感から親切になるのです。気前よく装うのは、恩を覚えてもらうためです。ときには見返りを期待して人に親切になることがあります。こういう献身的な行為は実は利己的なのです。
今、あなたの世界で重要なことは、誠実に行動し、率直に語ることです。
批判しないでください。関係しないでください。
8月、あなたに必要なのは正直で明瞭で純粋であることです。
他のすべてのことは放っておいても解決します。

2011年7月2日土曜日

ケイナー射手座 7月

上り坂の奮闘の後、何があるでしょうか?下り坂の船旅ですか?最近、あなたは 平地に到達したような気分です。あなたは高く険しい登山をしてきました。でも この努力に対するご褒美は何ももらっていないようです。自分はどこへも行かな かったか、何もしなかったかのようです。でもこの状況の感覚は明瞭ではありま せん。
あなたは別の場所へ降りてみるか、元来た道を引き返すでしょう。それはあなた が選びます。でもどちらにせよ、7月は大いなる達成感と興奮をもたらすでしょう。

2011年6月26日日曜日

3.11人工地震テロ⑥ 菅総理が辞めない理由を邪推する

それなりに余震は続いているようだが、とりあえず一段落したようだ。
さて、3.11人工地震テロと同様、菅総理がいつ辞任するのかという話題も、時間が経つごとに少しずつ風化していっているようだ。
このまま、しらばっくれていれば、人工地震テロはなかったことになり、菅総理も辞めなくてもいいことになる。それを狙っているのかもしれない。

ところで菅総理は、この期に及んでなぜ辞任しないのだろうか。
ネットの書き込みによると、菅はもともと実力で総理大臣になれる器の政治家ではなかったから、総理大臣という地位への執着が人一倍強いとのこと。
たとえば、もう次の就職先がありそうになり中高年サラリーマンが、上司から解雇を言い渡されそうになったとき、労働基準法を盾に不当解雇だと反論したり、自分にはまだ小さい子供がいると泣きの一手で陳情するなど、必死で会社にしがみつこうとする。それと同じようなことを菅がやっている、というのがネットの主張だ。
確かに地位への執着心も少しはあるかもしれない。だがそんな単純な理由だけではないと思う。
テレビにうつる血の気の失せた表情を窺うかぎり、菅が精神的にかなり追い詰められているのは間違いない。
なぜ、彼はそこまで悩んでいるのか。
これもまたネットでは、首になりそうな”中高年サラリーマン説”で菅の悩みを説明しているようだ。だが、私には何かもっと裏があるように思えてならない。
総理を辞めたくても辞められない、のっぴきならない事情があるのだ。
そこで自分なりに菅が辞めない理由を邪推してみた。

①国内騒乱誘発の第二弾か!
”世ゴロ協”としては、マスコミの福島原発の報道で不安を煽り、国民が暴動を起こすことを想定していた。暴動になればそれを抑えるために前原首相の警察国家を誕生させ、次いで中国と戦争させる。あるいは騒乱を抑える名目で在韓米軍を日本に派遣し、その隙に北朝鮮が韓国を侵略する。こういう筋書きだった。
ところが日本では(アフリカと違って)一向に暴動にならない。
そこで増税をちらつかせる菅総理を辞めそうで辞めない状態にして、国民をいらつかせ、暴動へと誘発させようと考えているのではないか。
暴動が起きるまで”世ゴロ協”は菅に首相を辞めないよう命令しているのである。

②実は菅総理は脅迫されている
今、菅氏が辞任し、小沢氏などの反ネオコン系政治家が総理になれば、”世ゴロ協”としては都合が悪い。そこで菅氏を脅迫し、ネオコン系政治家が次期首相になる見通しがつくまで、辞めさせないのではないか。
ネットの噂話では、自民党の歴代総理のうち、なぜか経世会は早死し、清和会は天寿を全うしているという。
経世会の総理は、”世ゴロ協”の息のかかった工作員に、巧妙に暗殺されている。一方、清和会は”世ゴロ協”の犬だから暗殺されることはない。こういう話がネットの複数箇所から見つかった。
今辞めたら、工作員を使ってお前やお前の家族を暗殺するぞ、と脅されれば、辞めたくても辞められない。あるいは、今辞めたら3.11人工地震テロの片棒を担いだことを暴露するぞ、と脅されているのかもしれない。
菅氏が顔面蒼白なのも、脅迫されているのだったら合点がいく。

昔、福田総理大臣が辞任する際、記者会見の席で辞任の理由を質問した記者に対し「あなたとは違うんです」と発言したのは有名だ。一介の記者ごときに一国の宰相の深い懊悩がわかってたまるか、と言われればそれまでだが、福田総理は一体、このとき何を悩んでいたのか。米国から何らかの圧力があったらしい。ネットにそう書かれている。

小さい子供を誘拐犯に人質に取られ、身代金を要求されている親。これが、日本の首相なのかもしれない。ここでいう子供は日本の国民であり、誘拐犯は米国。そして身代金は郵便貯金450兆円だったり対日年次要求だったりする。
身代金を払わなければ人工地震で子供は殺される。
ところが何も知らない子供は、ディズニーランドに連れてってくれ、アイスクリームをおごってくれる誘拐犯のおじちゃんを自分のパパよりかっこいいと思っている。一方、親の方は誘拐犯と交渉して、当初の要求額を値切って、いくばくかの身代金を泣く泣く支払う。
米国の実質的植民地である戦後日本。その行政の長である内閣総理大臣の仕事は、実はこんな感じなのかもしれない。
「あなたとは違うんです」は、ある意味、実に含蓄の深い言葉なのだ。

2011年6月18日土曜日

孤独死のすすめ

以前、このブログで書いたが、"孤独死"は実は意外と幸福な死に方ではないだろうか。
孤独死が不幸という人に問いたい。あなたは、どういう死に方が幸せな死に方と言えるのか。あるいは自分が死ぬときはどんなふうに死にたいか。
ある人の意見では、一番幸せな死に方は、自宅で子や孫など家族に看取られて死んでいく死に方であり、自宅での孤独死は2番目、病院で家族に看取られる死に方は3番目とのこと。

ところで現代人が死ぬ場所は確率的に病院内が多いだろう。
病院で死ぬのは悪く言えば、”獄中死”に似ている。
病院という自分の知らない場所、しかもあまり好きでない場所で、医師や看護師といった他人と付き合いながら死んでいくのである。他人の目に自分の死がさらされるのも、いい気持ちがするものではない。
獄中死に憧れる人は聞いたことがない。病院死も、仕方ないと思っている人が大半で、憧れているわけではないだろう。
どうせ死ぬなら慣れ親しんだ自宅で死にたい。

昔、テレビで細木数子が(行いが悪いと)「畳の上で死ねないよ」とゲスト出演者を脅していた。畳の上で死ぬのが理想だとすれば、やはり自宅で死ぬのが理想ということになる。だとしたら孤独死が理想の死に方になる。
病院で死んだら「ベッドの上」だから畳ではない、というのはいささかこじつけか。

ところで「畳の上で死ねない」というのは事故死を意味している。事故死に憧れる人はいない。
交通事故にせよ、無差別テロで突然、変質者に刺されるにせよ、かなり痛い思いをして死んでいくのではないか。苦しむという意味では、病院で亡くなる場合も同様だろう。
そこへいくと孤独死は自然死のようなものだから、一般にそれほど苦しまない?と思われる。

先だっての地震と津波で東北地方では多くの人が亡くなった。同時にたくさんの人が一緒に亡くなったので、これは孤独死ではない。
また津波で一命を取り留めたものの、避難所で命を落とした人もいる。他の大勢の被災者と雑魚寝をしながら、あるいは看取られながら死んだので、これは孤独死とは正反対の死に方だ。
だが、こうした死に方に憧れる人はいないだろう。

例のNHKの番組では、孤独死の恐怖感を煽り、独身の若者に早く結婚して子供を作るよう情報操作したようだが、本当のところ、孤独死が困るのは空カンのポイ捨てと同じなのだ。当の本人は困らないが周囲の人が迷惑する。
死体が長期間、そのまま放置されていたら大変だ。
だから空カンは屑かごへ捨てなさい、自分が死んだら家族にすぐ死体の処理をしてもらいなさい、そうしないと社会迷惑です、という意味なのだろう。

いずれにせよ、自分が死んだらすぐ外部にわかるようにしておけば問題ないのであり、「秋月パルス」ではないが、IT技術を駆使すればこのへんは解決すると思われる。
考え方を少し変えれば、孤独死は現代人にとり、理想的な死に方の一つだと思う。

2011年6月12日日曜日

ネット芸能文化人について

自分の中ではメディアの中心がテレビからネットに移行して数年経っています。
以前もこのブログで書いたと思いますが、ネットの世界にはテレビにはなかったタイプの芸能人や文化人がいるようです。
以下、自分がファンになったネット芸能文化人を紹介します。

①ジェット☆ダイスケ
ネット芸能文化人と言えばNo.1ポッドキャスター、ジェット☆ダイスケなしには語れません。
ネットやITを最大限活用して表現しているという点でかっこよく、多芸多才にして知的で、かつ地上波テレビのお笑い芸人より、よっぽど笑えるネット芸能文化人。それがジェット☆ダイスケなのです。
以前、彼のレトルトカレーのCM動画は、消費者目線の新しい広告だと評した評論家がいました。

②Cooking with Dog のおばさん
YouTubeの番組「Cooking with Dog」で、日本の家庭料理を中心に様々なレシピを英語で紹介。この前、この番組の通りにカスタードプリンを作ってみました。
観ているのは日本人より米国人の方が多いでしょう。Face BookかYouTubeのコメントで「女性シェフの名前を教えてほしい。これは重要なことだ」という英語の書き込みがありました。私も彼女の名前が知りたいです。本名ではなく芸名、またはハンドルネームでもいいですので、是非、知りたいです。因みにこの番組のホストの犬の名はフランシスです。

③リチャード・コシミズ
さて、3.11人工地震テロでは覚醒者が急増したのではないでしょうか。”寸止め”ジャーナリストなら他にいくらでもいるが、触れてはならない陰謀論の核心を包み隠さず暴露するのは、ネット・ジャーナリストにして独立党の大将、RKだけ。
今、時代の大きな節目に来ていることが彼の動画やブログから実感できます。私は独立党の心情党員になった人の気持ちがわかる、”心情”心情党員といったところです。

④finalvent
ご存じ「極東ブログ」のアルファーブロガー。政治経済から、国際問題、最新テクノロジー、果ては料理のレシピまで、教養の広さと深さには敬服します。
その知性にもまして興味深いのがブログならではの独特の文体を確立したことです。立花隆とは一味違う「知の巨人」系ジャーナリストといったところでしょう。

⑤Limor Fried
Ustreamの番組「Ask an engineer」を観ている日本人は何人いるでしょうか。日本では日曜日の正午くらいですが、実況しているニューヨークでは土曜日の夜です。
MIT出身の彼女はadafruit社の創業社長にしてエレクトロニクスのエンジニア。世界的にも米国的にも女性の科学者はともかく、女性のエンジニアで大成した人は珍しいようです。
この番組で知ったのですが、世界最初のプログラマーとされている女性、Adaの誕生日は「女性エンジニアの日」に制定されているようです。そして現代のAdaがLimor Fried(Lady ada)なのです。
英語で電子工作の解説は眠くなりますが、最後に黒猫「Mosfet」が登場するのが楽しみです。以前、「この猫はRoHS準拠か?」という書き込みが番組配信中にありました。米国にも”2ちゃんねらー”みたいな人はいるようです。

⑥KipKay
Make Magazine誌のサイトで動画「Weekend project」を連載。毎回、DIYの電子工作グッズを紹介する番組です。彼の本業は技術者ではなく、映像のクリエイターらしいです。以前、有名人向けのストーカー対策のグッズを紹介したことがありました。彼もまた有名人の一人なのでしょう。

⑦石井ゆかり
占いサイト「筋トレ」主宰で大ブレークした占星術師。もはや日本のJonathan Cainerと言ってもいいでしょう。
同じ占星術師でも、イケメンの鏡リュウジはテレビの人、学者肌の松村潔は活字メディアの人という印象があります。これに対し、石井ゆかりは典型的なネットの人でしょう。
占いの的中率ではCainerの方が上ですが、落ち込んだときに元気を与えてくれる占いという意味では「筋トレ」は最高です。

次期総理大臣は反ネオコン政治家に期待

久しぶりにブログを更新することにした。
菅直人首相の不信任案は否決されたが、おそらく数ヶ月以内に新しい総理大臣が誕生しそうである。
誰が次期首相になる可能性が高いのかはわからない。マスコミでは前原誠司氏や枝野幸男氏といった若手の名前が挙がっているようだが、私はどちらも支持しない。
リチャード・コシミズ氏によれば、前原氏は日中戦争を画策するネオコン政治家とのことである。若手でイケメンなのは好感が持てるが、戦争が起こってはたまらない。
一方、枝野氏は菅氏あるいは仙谷氏の傀儡に見える。つまり顔が変わるだけで管内閣とやることは変わらない。だったら最初から総理を替える意味がない。
3.11直後、福島原発問題について、毎日作業服姿でマスコミの前で弁解発言を繰り返した枝野氏。年が若いので嫌な仕事を上司の菅から無理矢理押し付けられたのではないか、と勝手に邪推してみたりもした。
私としては、次期首相は是非、反ネオコン色の強い政治家になってもらいたいと考えている。そうでないと日本は滅びる。そこで次期首相になってもらいたい政治家を自分なりに6人選んでみた。

①小沢一郎
②原口一博
③田中真紀子
④亀井静香
⑤樽床伸二
⑥鈴木宗男

①小沢一郎 待望論
対米従属外交、官僚主導の政治から親中外交、政治家主導の政治へ。ネットでの小沢人気は根強いものの、テレビ、大手新聞からしか情報源を持たないお年寄りやB層の小沢氏に対する拒絶反応は、依然として強そうだ。
最近、小沢氏はウォールストリートジャーナルで好意的に取り上げられているようだ。これは米国に歩み寄ったから、お許しが出たという意味なのか?真偽はわからない。
ただ小沢氏は表向きのリーダーよりも、”黒幕”が似合う男である。表と裏で別々のリーダーが組織に必要だとしたら、彼には裏、つまり実質的な最終意思決定者のポストを選択してもらいたい。

②原口一博 待望論
年齢も若く、テレビ出演も多いので、小沢派の政治家の中ではB層受けもいいだろう。一方、ツイッター政治家としても有名で、ネットオタクからも支持は得られるはずだ。
総務大臣時代は、ソフトバンクの孫正義氏が提唱する「光の道」構想に前向きであるとともに、政治ジャーナリズムの記者クラブ制度に疑問を呈するなど、彼がもう少し大臣を続けていれば、日本はよくなったはず・・・・と思っているのは私だけではあるまい。
彼が首相になれば、マスコミは小沢のロボットと批判しそうだが、彼の場合、ロボットはロボットでもAI搭載の高性能自律型ロボットだ。操縦者の命令にプラスアルファの付加価値政治サービスを提供してくれるだろう。

③田中真紀子 待望論
このタイミングで首相は厳しいかもしれない。もともと小沢派から首相を擁立する場合、彼女は人気と実力の両方から切り札的存在だったと思う。年齢的に若過ぎることはない。むしろ早く首相にならないと旬が過ぎてしまう。
だが首相になった場合、”真紀子節”が健在過ぎて、野党やマスコミから言質を取られ、「問題発言」問題に発展しないか心配だ。
いすれにしても、日本で女性の総理大臣を選ばなくてはならないとしたら、田中真紀子は人気アンケートでベスト5以内には入っているだろう。

④亀井静香 待望論
民主党から総理大臣を輩出しないという選択肢もある。細川内閣のときのように、連立政権の少数政党の党首を選び、さまざまな派閥の均衡を狙うのである。
民主党の代表を反小沢派から選び、連立政権の首相を小沢派が容認する別の党の党首から選ぶことで、双方が納得する、ということもあるのではないか。
国民新党の党首である亀井氏は、郵政民営化にストップをかける最後の牙城であり、反ネオコンという意味では小沢氏以上の存在かもしれない。

⑤樽床伸二 待望論
私がこの人の存在を初めて知ったのは、菅直人と争った民主党代表選のときだ。ミスターダークホースである。民主党内の小沢派と反小沢派の両者が妥協できる選択肢、という意味で、樽床首相の誕生は現実味を帯びる。
ただこの人が政治家としてこれまで何をしてきたのか、首相になったら何ができるのか、あるいは何をしようとしているのかはよくわからない。

⑥鈴木宗男 待望論
これはあり得ないだろう。すばり首相より脇役の閣僚の方が向いている。対ロシア外交のエキスパートとして、ロシアから石油を輸入するルートを作り、日本経済全体とまでいかなくとも、北海道経済だけでも立て直してもらいたい。
B層からすれば鈴木氏はいまだ”悪い人”なのだろうが、引退前に日本のために、あるいは北海道のために、何とかもう一仕事お願いしたい。





2011年4月30日土曜日

ケイナー 5月 射手座

あなたは、その他大勢の人たちと同じような人間ですか?それとも何かを“する”人ですか?私たちの多くは、必死にゴールを目指しているようです。永遠に標的に自分を向かわせます。目指すべき目標。やり遂げる基準。もしこれらを達成したら勝ち組、そうでなかったら負け組、と私たちは思い込みます。でも無意識のうちに、「自分のゴールは果たして追求する価値があるのか?」と自問することはしません。
5月の問題は、「あなたがどれだけ早く前進するか?」でも「あなたがどれだけ順調に進展できるか?」でもありません。「あなたはどこへ向かっているのか?」が問題です。5月は驚くべき発見があるでしょう。

2011年4月11日月曜日

3.11人工地震テロ⑤ この閃光は3.11版第7ビルか、それとも3.11版sengoku38か

まず以下の動画をご覧いただきたい。画面中央に青白い閃光がはっきり観察できる。


この閃光は何なのか。
ネットでは送電線のショートだとか、アーク放電、チェレンコフ光などといった専門用語でごまかしているが、もうだまされない。
今回の地震は人工地震で、海底や地下で核爆弾を爆発させて引き起こしていると考えれば、すべては簡単に説明できる。
あの閃光は核爆弾が爆発したから生じたものだ。私はそう確信している。
というか、そんなことはお前に言われる前から気づいてるよ、という人が、当ブログの読者の半分以上だろう。
************

リチャード・コシミズ氏をはじめ、3.11人工地震テロ説の支持者たちは、自然地震と核爆発の波形を比較し、今回の地震が後者に近いことから、これを人工地震の決定的証拠としている。だが、素人の私からすれば、上記の映像の方がわかりやすい。
9.11では、第7ビル倒壊前にテレビキャスターがビル崩壊のニュースを読んでいる映像が有名だが、今回の閃光も、数ヶ月もすれば、似たような扱いを受けるかもしれない。
つまり、3.11から始まる一連の地震や津波が人工地震テロだったことの明確な証拠、それも頭の悪い人や真性B層でもわかる、バレバレの証拠が、この映像の閃光なのである。

ここで勝手な想像だが、この映像を放送していたときのNHK職員たちの気持ちを考えてみた。
上司のミスでとんでもない事態になったのに、下っ端の自分のせいにされて怒られる、といった腹立たしい経験をサラリーマンならみんな味わったことがあるだろう。
閃光まではどうにもならない。これは核爆弾を仕掛けた方のミスであって、放送する方はどうにもならない。だから自分は悪くないはず。こんな気持ちだったのではないか。

そしてもう一つ、これも勝手な想像だが、もしかしたらこの放送は3.11版sengoku38なのではないか。
NHK職員の誰かが義憤にかられ、わざと閃光の映像を世に流し、 これが人工地震テロであることを一般国民に伝えようとしたのだ。当然、こうしたリークは彼(または彼女)の上司から禁じられていることであり、下手をすると”世ゴロ協”から命を狙われかねない行為だ。
彼(または彼女)にとって限界ぎりぎりの抵抗が、この映像の放送だったのだ。
************

このへんはあくまで私の想像であり、一体どちらなのか、本当のところはわからない。
3.11以降、いつも地震が揺れているような恐怖感がある。今これを書いている4月11日17:30現在も、私は地震にあったばかりだ。こんな生活、一体、いつまで続くのか。
いい加減、そろそろやめてもらいたいものである。

2011年4月6日水曜日

3.11人工地震テロ④ 現代版”八瀬童子”を提言

まずは以下の動画をご覧いただきたい。



一般庶民は情報拡散以外に対抗手段を持たない。
まず情報拡散によって、この国の支配層の義侠心に訴える。みんなが事実を知っているならこれ以上しらを切るわけにはいかない、という論理に持っていく。そして彼らの何人かが”世ゴロ協”サイドから一般庶民サイドに”寝返る?”。こうなれば、4.11富士山人工噴火テロを阻止できると思うのだが・・・。
政治家、官僚、大手マスコミ、あるいは東電の役員でもいいかもしれない。彼らがCIAの犬になることをやめ、日本のために動き出せば、社会はいい方向へ向かうはずだ。
たとえば地上波テレビのニュース番組でリチャード・コシミズ氏やベンジャミン・フルフォード氏を解説者に採用して、彼らに自由に発言させるだけでも、かなり日本は変わるだろう。
だが彼らは”世ゴロ協”から暗殺されるのを恐れ、赤坂の韓国パブに毎日、入り浸っているとのこと。どうやら、この国の支配層までもが、米国の3S愚民化政策の術中に嵌ってしまっているらしい。

情報拡散だけではやはり無力だ。何も世の中を変えることはできない。
さて、4.11までに間に合わないだろうが、情報拡散以外に何か打つ手はないか、私なりに考えてみた。そして思いついたのが現代版”八瀬童子”の復活案である。
かつて、徳川家は伊賀忍者、豊臣家は甲賀忍者、北条家は風魔忍者というように、戦国武将は特定の忍者を抱えていた。同じ時代、天皇家に使える忍者がいた。それが八瀬童子である。

日本には内閣官房調査室のような諜報機関はあるが、政治の中枢まで外国スパイが入り込んでいるため、首相の支配下にある諜報機関では米国に従属しない完全に独立した組織にはならないかもしれない。総理大臣になる人までCIAの工作で左右されるとのことである。
そこで現代版八瀬童子、宮内庁諜報局の創設を提言したい。
宮内庁諜報局員は、家柄のしっかりした、純粋な日本人だけから採用され、天皇の直接の支配下に置く。そして米国から独立した国益のために活動する。
首相が替わっても、彼らの長期プロジェクトは持続する。
CIAは米国大統領の支配下にあるという建前だが、実際には大統領がCIAに支配されてる。そしてCIAは外交評議会(CFR)に支配されているという。このCFRが”影の世界政府”なのだ。
だとしたらCIAに対抗できる組織になるためにも、宮内庁諜報局もまた、表向きの行政の長に従属せず、時として彼をも支配できる”裏権力”を持つべきだろう。

宮内庁諜報局はできれば秘密組織である方がいい。それともすでにそういう組織はあるのだろうか。
いずれにせよ、情報拡散だけでなく、次の手がほしい。

2011年4月1日金曜日

3.11人工地震テロ③ 3.11と9.11のトリビア

さて、3.11人工地震テロをテーマにしたエッセー第三弾である。
おがげさまで当ブログを立ち上げて以来、陰謀論ネタにするとアクセス数は最高を記録した。
もちろん、喜んでばかりはいられない。いつも揺れている感覚と外出するときは放射能汚染の恐怖に苛まれながら毎日を送っているわけで、ブログなどどうでもいいから、何とか気持ちを一段落させたい、というのが本音である。
繰り返しになるが、3.11人工地震テロ説はネットジャーナリストのリチャード・コシミズ氏やノンフィクション作家のベンジャミン・フルフォード氏が提唱しており、まだ両氏のブログや動画などを見ていない人は、ググって調べていただきたい。コシミズ氏の場合は独立党のHPから氏の講演会の動画を見て、氏の世界観を理解してからブログを読むのがおすすめだ。そうでないと内容が意味不明だろう。
もちろん私は彼らの回し者ではない。自主的に3.11人工地震テロ説を情報拡散しているだけである。まず彼らの主張を知り、その真偽についてはあなた自身で考えていただきたい。テロ説を無理に押しつけているのではない。
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ところで9.11テロでニューヨークの第7ビルが崩壊する前に、テレビキャスターが先に崩壊のニュースを読んでしまった、という有名なエピソードがある。これはマスコミもテロの手先だったという証拠である。ニュースを読むのが早すぎた、というのが一般的解釈のようだが、最初この話を知ったとき、私は、もしかしたら当初のシナリオよりも爆発するのが遅すぎたのであって、キャスターの台詞は予定通りだったのでは、と邪推した。
どっちでもいい話であり、陰謀論者も陰謀否定論者も、そのへんは調べようともしないだろう。
以下にその動画を貼っておく。




第7ビルが崩壊した記事を読んだのは男性アンカーであり、女性キャスターは彼のミスをうまくアドリブでごまかそうとしたように思える。彼女のキャスターとしてのプロ根性、いや世ゴロ協の飼い犬としてのプライドを感じてしまう。


ところで3.11でも今後、似たようなフライングが発見されるかもしれない。
以下の動画は、福島原発が爆発した映像を見た後、テレビの女性キャスターが沈黙してしまう映像である。




これを見ると、思わず彼女がこのとき考えていたことを邪推してしまう。
「こんなの人為的に爆破させたことがバレバレの映像じゃないのよ。爆音が3発よ。原子炉が自然に破裂したなんて記事、ちょっと今の空気じゃ読みづらいわ。まったく爆破犯の連中って何やってるのかしら」
だが私に言わせれば彼女の沈黙の方が不自然だ。妙に勘ぐってしまいたくなる。

果たして真相はどうなのか。3.11人工地震テロが明るみに出たところで、爆破犯がしくじったのか、女性キャスターが悪かったのか、といったことは闇から闇に葬り去られ、永遠に人類から忘れ去れるトリビアなのかもしれない。

2011年3月29日火曜日

3.11人工地震テロ② 被災地ではない方向へ飛んで行く軍用ヘリ

 さて、3.11人工地震テロのエッセー第二弾である。
読者はすでにリチャード・コシミズ氏のブログや関連サイトをご覧になっただろうか。
以下の文章は、コシミズ氏が提唱する3.11人工地震テロおよび世界観を、読者がある程度理解していることを前提にして書いた。読んでいて意味不明な方は、まずリチャード・コシミズをググって調べていただきたい。
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このところ軍用ヘリコプターが飛んで行くのを三回目撃した。
それも奇妙なことに東北地方へ向かっていないのだ。被災地に救援物資を運んだり、福島原発の消火活動を支援するのだったら、東京から見て、北東の方向へ飛んで行くはずだ。
ところが南東に2機、北西に1機飛んでいった。南東はおそらく東京湾の方向、北西は富士山近辺へ向かったのか。
たったこれだけの事実をもって人工地震テロの証拠とするのは、あまりに牽強付会というものだが、どうも気になる。あのヘリコプターは何なのか。
それに正確には方位磁針で方角を調べたのは北西の1機だけ。他の2機は私の主観で南東と思っただけで、本当は別の方向へ向かっていた可能性もある。
だが東京湾にせよ、富士山周辺にせよ、コシミズ氏のブログでは地下で核爆弾を複数回爆発させている場所、またはその可能性が高い場所としている。
東京の水に通常より高い放射能が検出されたのは、福島原発のせいではなく、東京湾の海底で核爆発が起きているせいではないか。
私が目撃した軍用ヘリコプターはいずれも、被災者救援を支援するものではなく、人工地震を支援するための物資や人材を運んでいたのではないか。
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twitterでは、人工地震テロを唱える電波系の輩がいるので驚いた、といった趣旨のつぶやきをこれまで2回目にした。実際のところ、どうなのだろう。
今回の東日本大震災について、人工地震テロ説があることを知っている人は何パーセントぐらいいるのか。
そのうち、どれくらいの人が人工地震説を信じ、どれくらいの人がデマだと思っているのか。
今の私の最大の関心事でもある。当ブログにもどなたか忌憚ないご意見を書き込んでいただけると幸いである。

2011年3月26日土曜日

3.11人工地震テロとオペレーション”トモダチ”

毎日、地震が続くと気が滅入る。いつも揺れている感じがする。
テレビをつければ、福島原発と放射能汚染の話。東京の水もそろそろ危なくなってきたのか?
今日の計画停電が自分の地域グループでは何時なのか、毎朝、東電のHPでチェックする習慣がついた。
被災地の人たちのことを考えれば、不平不満を抱くこと自体が贅沢なのかもしれないが、それにしても、いい加減、もう終わりにしてもらいたい。

こうしたイライラ感からか、一日に何度もリチャード・コシミズ氏のブログにアクセスしている。
氏のブログが累計3000万近いアクセスを記録し、パンデミックとのことだが、実際には氏を支持する独立党員や心情党員と、氏から発する情報拡散を阻止したい”世ゴロ協”サイドの人間が複数回アクセスしているはずであり、肝心のB層市民のアクセス数はこの数字より低いと想定される。
だが、これまでよりはリチャード・コシミズ氏を知る人がかなり増えただろう。

ところで氏が今、話題にしている「3.11人工地震テロ説」をご存じだろうか。
今回の一連の東日本大震災は自然の地震ではなく、米国が日本や太平洋沖の地下で核爆弾を爆発させて引き起こしているというものだ。
ベンジャミン・フルフォード氏も動画でほぼ同じようなことを述べている。最新地震兵器HAARPを使用しているかどうか、といった細かい点に差はあるかもしれないが、両氏の主張は大筋では同じである。
ではなぜ同盟国のはずの米国がそんなことをするのか。その詳細はまず関連するブログ動画にアクセスしてもらいたい。
以下、リチャード・コシミズ氏の「3.11人工地震テロ説」および、世界観を前提にして、自分の思っていることを述べる。

震災直後、米軍空母ロナルド・レーガンが震災の被災者救援の名目でやって来た。その救援プロジェクトのコードネームが「オペレーション”トモダチ”」と聞いて、私は背筋が凍りつく思いがした。
「21世紀少年」という映画(または原作の漫画)を観た人なら、何のことかわかるだろう。
この映画のストーリーはこうだ。
殺人ウイルスや巨大ロボットを使って、覆面を被った謎の男”トモダチ”が世界を征服し、凶悪な独裁者になる。
独裁者”トモダチ”は物語のクライマックスシーンで主人公に語りかける。
「ソウダヨ。僕ダヨ。友達ダヨ」
実は”トモダチ”の正体は主人公の少年時代の幼馴染だったのだ。

空母ロナルド・レーガンはあたかもこう言っているようだ。
「ソウダヨ。ヤット気ヅイタカイ。僕ハ最初カラ”世ごろ協”ダッタンダヨ」

「3.11人工地震テロ説」が真実であるとしたら、緊急の情報拡散が必要だ。今の自分個人にできることは何もない。だが能力的にまたは権力的に何かできる人にこの情報が伝われば、これ以上の被害拡大を抑制してくれるだろう。
一方、これがデマだったとしたら?その場合もやはり情報拡散が必要だ。人工地震説がデマであることを科学的、論理的に説明できる人が現れ、我々を安心させてくてるからだ。今のところ、9.11のときと同様、陰謀否定論者は、「陰謀論を唱えること自体が非常識で恥ずかしいこと」といった説明に終始しており、納得いく説明をする努力をしていないように思える。
いや、私個人としては、「3.11人工地震テロ説」が世に認められるかどうかは二義的なことだ。CFRには、人工地震はなかったことにしても構わないから、これ以上、日本人を殺さないでほしい。そうお願いしたい。

2011年3月18日金曜日

地震のせいでテレビを見るようになりました

 東北地方太平洋沖地震が起きてから、テレビをよく見るようになりました。
 福島原発からの放射能も怖いですが、もっと怖いのは毎日起きる余震です。特に夜に起きる地震が心配です。ニュースでは地震ノイローゼになっている人がいるとのことですが、私もその口です。
 ネットでも様々な情報が錯綜していて、何が真実なのか検討もつきません。
 地震のせいで株価が下がるのは納得いきますが、為替レートが円高になるのは不思議です。日本は経済的にもダメージを受けるはずなので、本来は円安になるのでは?輸出産業がGDPを支えている日本経済の場合、円高はさらなる不況を煽る、といつものようにマスコミは悲観論をまくしたてると思います。
 ただ個人的には仕事で米国から部材を輸入しているので、円高ドル安の方がいいかな、とも思っています。ちなみに個人的には円高ユーロ安もありがたいですが、ドルに比べユーロは結構強い感じです。ヨーロッパ経済は堅調なのでしょうか。
 それにしてもテレビをよく見るのは久しぶりです。自分の日常生活で、テレビよりネットがマスメディアの中心になってから、5年以上経ちます。
 ところで、今回の地震でテレビ局は得をしたのでしょうか。民放の場合、CMの大半がACです。視聴率は上がっているのでしょうが、CM料金の売り上げはあまりないでしょう。一方、NHKは災害時の公共情報提供施設としてその役割を果たし、一部の分割民営化論を吹き飛ばす勢いを感じます。
 でも今の状況が平常に戻れば、またテレビはあまり見なくなる生活に戻ると思います。
 今回の地震で学んだことが一つありました。これは物質的なことでなく精神的なことです。天災は避けられないし、人間いつ死ぬか分からない。だからこそ、日常生活のつまらない心配事に翻弄されるよりも、やりたいことを先延ばしにせず、精いっぱいやって生きる方が正しい人生の選択だ。
 そういう考えが、啓示のように閃いたことです。

 
 

2011年2月27日日曜日

入試問題漏洩事件について思う

 ネットが普及してから、大学の権威が急激に落ちてきた、と思っていたところ、大学入試のカンニング事件が話題になっている。受験生が携帯電話か何かで入試問題を撮影し、それをネットの掲示板に送信し、掲示板にアクセスした他人から答えを教えてもらう、というやり方である。まさにクラウド・コンピューティング時代のカンニングといったところか。
 私がこのニュースを最初に知ったときの感想は、相撲の八百長事件のニュースを最初に知ったときと同じだった。
つまり、「こんなもの大ニュースでもなんでもなく、もっと小さいベタ記事扱いしていいんじゃないのか」である。
個人的には、昔のように相撲のテレビ中継は見なくなったし、相撲の八百長なんて都知事でなくても、何となく知っていた人はたくさんいたはずだ。だからニュースでもなんでもない。
大学入試問題のネット漏洩も然り。いまさら“大学”などニュースでもないだろう、と思う。
私が大学に通っていたのはバブル時代、80年代後半である。「象牙の塔で銀の笛を吹いている」といったイメージが大学に残っていた最後の時代だったように思う。
学士になれば仙人になれるわけではないが、それでも真の学問や知識は大学に行かなければ学ぶことができない、という思いがあった。
だが知らないことはネットがすべて教えてくれる時代になると状況は一変した。この時代、大学に行かなくては得られない知識とは何だろうか。
日本人の場合、博識になりたければ、まず英語を徹底的に学ぶことだ。日本語のサイトしか見てない人はネットから得られる知識の恩恵を半分も得ていない。ウィキペディアの日本語版と英語版を見比べてみれば、英語の情報量の方が圧倒的に多いことに気づくはずだ。
特に自然科学系、工業技術系の知識を吸収する場合、英語のサイトを読むことはインターネットの威力を最大限に発揮することに等しいと言っても過言ではない。

 日本だけではないかもしれないが、日本の大学には二つの役割がある。
一つは純粋な教育機関としての役割である。つまり入学してから卒業するまでの期間に学生の知識や教養、技能などを向上させる役割である。
もう一つは卒業生に“労働者ブランド”を付与する役割である。
学生は大学を卒業後に企業や役所に就職するため、在学中または卒業後、就活する。このとき採用者側に自分の“労働者ブランド”を提示する。
企業の採用者側としては、たとえば「この学生は偏差値の高い大学を卒業しているから(あるいは卒業見込だから)、優秀な人材であることが想定される。よって採用しよう」といった具合に、この“労働者ブランド”が採否を判断する一つの有力な材料になる。と言うより、“労働者ブランド”なしでは採否が判断できない企業も実質的にはあるだろう。
日本の大学の場合、教育機関としての役割は弱い。特に文系がそうだ。学生時代をモラトリアム(執行猶予)と表現するように、日本の学生は大学に入るまでは一生懸命勉強するが入ってからはあまり勉強しない、と言われる。
もとより知識なら大学に行かなくてもネットで十分得られる時代である。
だとしたら、日本の大学の第一義は”ブランド”提供機関ということになる。
厳密に言えば、大学が学生に与えるブランドは“労働者ブランド”だけでなく“配偶者ブランド”もあるかもしれない。いいところへお嫁に行くために、あるいはいいお嫁さんをもらうために、男女とも一流大学を目指す、といった風潮はあるだろう。
だがブランドは所詮、ブランドに過ぎない。労働者も配偶者も長い時間をかけて己の真価を証明するものであり、ブランドごときで真価など正確にわかるはずもない。

いずれにせよ、大学にせよ、相撲にせよ、過去の権威は完全に失墜した。そればかりではない、米国、政治家、官僚、企業、マスメディア、宗教団体、その他もろもろの”権威”が、このネット時代にことごとく崩れかけている。
いまさら虚妄の権威にしがみつくのではなく、ネット時代に対応した新しい”あり方”を模索した方が、21世紀を生き延びるすべを見出せるのではないか。そう考える。


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2011年2月20日日曜日

既存メディアの「小沢叩き」VSネットの「『小沢叩き』叩き」

最近、地上波TVと阿修羅掲示板を交互に見比べるということをやっているが、両者が正反対の情報を流しているのが興味深い。
地上波や大新聞では、小沢一郎氏は絶対的”悪玉”にされている。一方、阿修羅掲示板などいくつかのネットメディアでは「小沢叩き」をやっている検察と菅内閣、それに大手メディアを徹底的に非難している。
どうちらが正しいか。ともに媒体の編集方針に則ったプロパガンダだから、客観的な報道ではないと言ってしまえばそれまでだが、私は阿修羅掲示板に軍配を上げたい。
阿修羅の方が読んでいて説得力がある。と言うか地上波がやっている「小沢叩き」は私のような典型的なB層でもあからさまな情報操作とわかるほど、報道のやり方が稚拙なのだ。
「小沢叩き」と「『小沢叩き』叩き」の論争はともかく、今回の対決は、既存権威メディアの信頼失墜という意味の方が大きいと思う。
地上波のテレビや大新聞が報道したニュースは、絶対に信用できる。これが、これまでの国民の大多数の認識だったはずだ。だが、ここにきてそれが崩れてきた。
私はかねてから、 ソニーが米国で開発したgoogle TVのようなものが普及した段階で、メディアの主流は完全にテレビからネットへ移行すると思っていた。だが、既存メディアのジャーナリストが、自らの失策で、それより早い自己崩壊を招いているようだ。


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2011年2月14日月曜日

ARM陰謀論 その2

  そもそもエイコーン・コンピュータがVLSIテクノロジーにASICマイコンの開発を依頼したのがすべての始まりだった。
このとき誕生したのが初代ARMマイコンだが、これがあまりにいい出来栄えだった。そこで、このマイコンだけで今後商売していけそうだと踏んだので、両社から技術者を出し合って、ARM社が設立される運びとなった。
初代社長にはモトローラの営業部長、ロビン・サクスビーをヘッドハンティングしたが、これはアップルつながりだろう。当時、マッキントシュのCPUはモトローラの68系やPowerPCを使っていた。
ちなみにこの前後、アップルは「ニュートン」というPDAをラインアップしていたが、誰も知らないだろう。iPod、iPod touch、iPhone、iPadで一世を風靡したアップルだが、昔はハズすこともあったのだ。やはりジョブズがいないとアップルはだめなのか。
いずれにせよ、アップルがARMの株を引き受けたのは「ニュートン」の次世代CPUを開発したいという思惑があったからだと思われる。

閑話休題、この当時、ARM社はマスコミに対し、売上を公表しなかたっが、あまり収益がなかったのだろう。おそらく当時はライセンス契約料が安かったのではないか。だがそれが当初の目論見通りだったのだ。ARM社の使命はARMのアーキテクチャを普及させることで、収益を上げることではなかった。そしてアーキテクチャが普及すれば、それ用のASICマイコンを外注で開発する需要が増える。そうしたら自分たちの出番になる。ASIC専業メーカーのVLSIテクノロジーはそう考えたのではないか。
だがその後、携帯電話市場の増大とともにARM社は大企業へ成長した。一方、VLSIテクノロジーはNXPに買収されて消滅してしまった。おそらく携帯電話メーカーの大多数は自前でASICマイコンぐらい開発できるので、あえてVLSIテクノロジーに発注しなかったのだろう。

ところでARM社創業当時、VLSIテクノロジーはあえて三番手の株主を選び、自分とARMの関係を目立たなくさせていた。これはなぜだろうか?
おそらく自分たちが携帯電話市場のCPUのシェアを狙っていることがあからさまになると、Windows PCでCPU市場を席巻したインテルと衝突する。これを恐れたのではないか。
当時、インテルは86互換でライバルのAMD社に対し、ライセンス問題で何度も訴訟を起こしていた。裁判では軒並みAMDが敗訴し、ライセンス料をインテルに支払っていた。
そもそもインテルとAMDとVLSIテクノロジーには共通項がある。もともとファアチャイルド(現存するファアチャイルドとは別会社)という半導体メーカーがあり、この会社が解散したとき、社員が三つのグループに分かれて新たに起業した。それがインテル、AMD、VLSIテクノロジーだった。
兄貴分のインテルとAMDが裁判沙汰で火花を散らしているときに、VLSIテクノロジーが自社ブランドでARMを市場に投入したらどうなるか。X86とARMはアーキテクチャが異なるので、まさかライセンス問題で訴えられることはないだろうが、それにしても業界最大手、インテルに睨まれるのはこわい。そこでベンチャー企業、ARM社という隠れ蓑を作り、携帯電話向けCPUのデファクトスタンダードを密かに狙っていたのではないか。以上が私の推理である。

それにしても、PCを制覇したX86と携帯電話を制覇したARMを設計したのが、もともとフェアチャイルドにいた同門のエンジニアというのはすごい。彼らから見れば、「”本物”のCPUを設計・開発できるのは世界で俺たちだけ」という自負があるのだろう。フリースケールのPowerPCもルネサスのSHマイコンも彼らに言わせれば、”お子様ランチ”なのかもしれない(おわり)。

ARM陰謀論 その1

RISCの次はARM陰謀論である。
前回のRISC陰謀論は当ブログ最長エッセーであり、自分では渾身の力作と思っていたが、アクセス数は過去最低。誰も読んでいないのだ。確かにRISCチップの定義がどうであろうと日常生活に影響ない人が世の中の99.9999・・・%以上だろう。いや、業界の人間にとっても、つまりマイコンを売る人や買う人にとっても同じだろう。RISCがただ「よいマイコン」しか意味しないとしても、別に日常業務に変化はない。だから誰も私のブログを読まないのだ。
それはともかく、前から文章にして自分でも確認したいテーマとしてRISC陰謀論があったわけであり、誰かに読んでもらうためというより、自分が書くために書いたエッセーとしてやはり書く価値があったのだ、と弁解しておこう。
そこでもう一つ、ARMにまつわる陰謀話。これもまた読むためでなく、書くためのエッセーだ。

*********
ARMのアーキテクチャを設計したのは、ARM社ではなくVLSIテクノロジー社の技術者だ、という事実は現在ではもはや企業機密でもなんでもないらしい。と言うか、2年前くらいの「トラ技」の広告にそんなようなことが書いてあった。
確かNXP社の広告だ。
「欧州の大手半導体メーカーである当社NXP(旧Philips Semiconductor)は、日本では知名度が低いせいか、当社製品をあまり買ってもらえない。だがARMマイコンでは実は当社のマイコンが世界で一番正統と言える。
実はARMを設計したVLSIテクノロジーは、現在、当社に吸収合併されている。だから当社のマイコンこそARMの本家本元である。
日本のボードメーカー、システムメーカーのみなさん、どうせARMを買うなら、本家の当社からお買い求められたし・・・・・・」と言うような趣旨の広告だった。

しかしながら、昔は”スパイごっこ”めいていた。
そもそも、90年代中盤、日本ではなぜがARM関連のプレスリリースをVLSIテクノロジーの日本法人広報部が業界マスコミに発表していた。ARM社の日本法人設立後も、しばらくそれが続いていた。
VLSIテクノロジーは当時、アップル・コンピュータ、エイコーン・コンピュータ(英)に次いでARM社の三番目の株主だった。
親会社の広報部が子会社に代わって広報発表するというのは理屈が通る。だから筆頭株主のアップル・コンピュータが広報発表するというのならわかる。
当時、アップルは創業者スティーブ・ジョブズを放出していた時期で、iPodもiPhoneもまだなかったが、日本法人はあり、マッキントッシュを販売していた。
一方、エイコーン・コンピュータは日本法人もなければ、日本市場に製品もほとんど販売していない。だからここが広報発表をするのは無理である。
だがアップルを差し置いて三番手株主のVLSIテクノロジーが、ARM社の”宗主国”のような顔をして、でしゃばってくるのはどういうわけか(つづく)。

2011年2月10日木曜日

RISC陰謀論 その3

21世紀に入るとRISCにまつわるもう一つの不文律が崩壊した。
これまでRISCは32ビット、64ビットといったハイエンドマイコンの世界の用語で、8ビット、16ビットのローエンドマイコンの世界では使わないという常識があった。
ところがマイクロチップのPICマイクロとそのライバルであるアトメルのAVRシリーズは、8ビット、16ビットにも関わらず、RISCと称されて販売されている。いずれも8ビット、16ビットではここ10数年で急速にシェアを伸ばしたマイコンだ。
ちなみにウィキペディアを見るとPICマイクロとAVRシリーズはRISCライクなマイコンではあるとした上で、正式なRISCとは認めていないような記述になっている。

こうなるともはやRISCは「よいマイコン」以上の意味はない。
RISCと名がつけば売れる。逆にRISCと謳わなければ売れない。だから猫も杓子もマイコンメーカー各社は自社製品をRISCと称して宣伝し、販売しているのである。
RISCを超える新しい技術と用語が登場し、もはやRISCがマイコンのほめ言葉でなくなったときこそ、RISCという語の本当の技術的定義が確立されるのだと思う。
だがそのときまで、RISCの意味は単なる「よいマイコン」でしかない(おわり)。

RISC陰謀論 その2

 前述のようにRISCのもともとの定義は命令数を減らすことで処理スピードを上げるマイコンということだったが、ワークステーション・ベンダーたちの64ビットRISCは、確かにCISCのX86よりは命令数が少ないかもしれないが、バージョンアップする度に必然的に命令数が増えていく。だから命令数が少ないことだけをRISCの定義とするには限界が出てきた。
そこで生まれた新しいRISCの定義が制御部にハードワイヤード方式を採用したマイコンというものだった。ワークステーション・ベンダーたちの64ビットRISCは制御部の結線がハードウェア的に固定している。これがハードワイヤード方式だ。一方、X86の場合、制御部はマイクロプログラム方式と呼ばれ、流動的なソフトウェアになっている。
これはASICとFPGAの関係に似ている。ハードワイヤード方式の方が制御部の処理スピードは速く、消費電力も少ない。一方、マイクロプログラム方式の方が拡張性に優れ、機能を追加しやすく、バージョンアップを容易に行えるというメリットがある。
RISCとはハードワイヤード方式のマイコンを指し、RISCの処理スピードの速さと低消費電力はハードワイヤード方式によるもの、という解釈で一応落ち着いたかに見えた。

ところがここで現れたのが英国のARMである。現在ではARMは正式名称で何かの略称ではないが、創業当時はAdvanced RISC Machinesの略称ということになっていた。つまり社名および製品名にRISCを謳っているのである。ところがARMチップはマイクロプログラム方式のマイコンだった。
ARMが社員10数名程度のベンチャー企業だった当時、業界マスコミはARMがRISCの定義を理解してないのだと嘲笑していたが、嘲笑している間にARMが大ブレークした。
90年代終わりから携帯電話市場が急成長し、携帯電話のCPUの7割にARMアーキテクチャアが採用され、世界で一番普及したRISCがARMチップということになってしまった。こうなるとARMが間違っているのではなく、RISCの定義自体を変える必要が出てきた。
すなわち「ハードワイヤード方式でなく、マイクロプログラム方式のRISCもあり」ということになった。
ちなみにかつてX86のライバルだったモトローラ(現フリースケール)のPowerPCもマイクロプログラム方式のRISCチップだ。

ところでX86がCISCであってRISCでない以上、86互換チップも必然的にCISCであってRISCでないことになる。こういう不文律があった。しかしながらARMがRISCの定義を変えている間、平行して86互換の世界でもRISCという語が再定義されていた。
彗星のように現れたベンチャー企業、ネクスジェンが86互換RISCチップの新製品を発表し、業界マスコミを席巻した。と思ったらそれから間もなくネクスジェンはAMDに買収されて消滅した。
もともとネクスジェンは自社製品を売るのではなく会社自体を売るために起業した会社だったようだ。米国のベンチャー企業にはよくある話である。
ネクスジェン買収後、AMDはRISCであることを謳った86互換チップを精力的に開発している。
こうして86互換はRISCと呼んではいけないという不文律は崩壊した(続く)。

RISC陰謀論 その1

 最近、リチャード・コシミズの動画とブログにはまっているせいか、物事を陰謀論の視点から見るくせがついた。
 そこでエレクトロニクスB層を覚醒させるべく、RISC陰謀論について論じてみたい。

 この前、放送大学のビデオ講義で、教授がRISCについて教科書的な説明をしていた。
 RISC(Reduced Instruction Set Computer)とは、アセンブリ言語でプログラミングするとき、処理スピードを上げるために命令数を少なくしたマイコンを指す。RISCに対してそれ以前からあった旧タイプのマイコンをCISC(Complex Instruction Set Computer)と呼んで区別する。これがRISCの教科書的説明だ。
 私は素人の立場ながら20年近く、このRISCという語について探究してきた。だから教科書には書かれないRISCにまつわる真相について、私は自信を持って語ることができる。
 結論から言えばこうだ。RISCは現在では「よいマイコン」というぐらいの意味しか持たない。技術の専門用語に見えるが諸事情からRISCの意味は崩壊してしまった。
 たとえば、もしあなたが半導体メーカーを起業して、ともかくマイコンと名のつく製品をRISCチップと称して販売したところで、「これはRISCじゃないだろう」と突っ込む客はまずいない。
 一方、たとえばあなたが汎用マイコンをDSPと称して販売したら、ボードメーカー、システムメーカーの客から「これはMAC命令がないからDSPじゃない。金返せ」といったクレームがくる。DSP(Digital Signal Processor)は技術的定義が確立した用語だからだ。
 そもそもこのRISCという語が注目されはじめた80年代、実はRISCという用語は米国マイコン業界の陰謀と深い関係があったのだ。

 80年代、32ビットマイコンでは総合評価でインテルの「8086」が1番、モトローラの「6800」が2番だった。
 ここで言う総合評価というのは、マイコンの処理スピード、つまりベンチマークテストの性能だけでなく、価格や消費電力、さらには開発ツールなどの各種ユーティリティーソフトやそのコストまで含めた商品の市場での競争力を指す。
 だがインテルの競合他社としては、客に「8086」が1番である事実に気づかれてしまっては商売上がったりになる。そこでRISCという用語を持ち出した。
 具体的にはIBM、サン・マイクロシステムズ、ヒューレット・パッカード、DEC、シリコン・グラフィックスといった当時のワークステーション・ベンダーが、インテルの競合他社だった。彼らは自社ワークステーションのCPUに独自のマイコンを64ビットRISCと称して開発していた。
 彼らはの主張はこうだった。自分たちのCPUは新技術のRISCを使っている。だから従来技術であるCISCの「8086」やその後継(X86)よりも、自分たちのマイコンが優れているはずだ。
 吉野家の牛丼は「早い、安い、うまい」が謳い文句だが、この頃、RISCのキャッチフレーズは「(処理スピードが)速い、安い、低消費電力」だった。
 しかしながら、X86は現在でも生き残っているのに対し、ワークステーション・ベンダーのRISCは今日ほとんど淘汰されてしまっている。DECなどは会社自体が今では存在していない。市場に受け入れられたのはX86の方だった。

 ところで、当時、ワークステーション・ベンダーたちがRISCと称して開発していたマイコンの共通項を探り出して、業界マスコミがRISCという語を再定義することになる(続く)。

2011年2月7日月曜日

WWEの面白さは浅草演芸場の寄席と同じ

最近、相撲の八百長が問題になっている。
プロスポーツ興業であれば、八百長とまでいかなくても、スター選手を盛り立てる演出ぐらいはどこの団体でもやっている。スポーツ興業自体の人気を高めるためだ。だから八百長が発覚したくらいで春場所を中止するのはいかがなものか。
むしろ暴力団との交際、賭博、麻薬といった問題の方が重大だ。いや、部屋の新弟子が兄弟子たちからリンチを受けて死亡した事件こそ、相撲界最大の汚点のはずだ。
こうした事件にくらべれば、相撲の八百長などたいした問題とは言えない。こう思うのは私が長年のプロレスおたくだからだろうか。
八百長試合に拒絶反応があればプロレスおたく(少なくともWWEおたく)にはなれない。

一昔前、仲間内の飲み会などの席で自分はプロレスおたくだと告白すると白い目で見られることがあった。プロレスはガチンコ勝負でなく、すべて八百長だ。だからプロレスを楽しむこと自体がまちがっている。これがアンチプロレス派の主張だった。
ところが90年代半ばぐらいから様子が変わってきた。ショービジネス路線のプロレスとガチンコ勝負を標榜する総合格闘技に興業団体が二極分化してきたのだ。
そしてショービジネス路線の代表が米国WWE(当時はWWF)だった。つまり、WWEでは観客全員がこれはガチンコ勝負ではないことを納得した上で、入場料を払って観ているのだ。

長い間、WWEは無料試合しか見ていなかったが、ここ数年、PPVで有料試合をしばしば観るようになった。
レッスルマニアを見たとき、(こんな言い方をするのもおこがましいが)WWEのビンス・マクマホン会長という人は“本物のプロレスのなんたるか”がわかっている人だと感じた。同時に、これは浅草演芸場の寄席に似たエンターティメントだと感じた。
プロレスと落語のどこに共通点があるのか。不審に思うかもしれないが、これがレッスルマニアの私の率直な感想である。

浅草演芸場の寄席では、真面目な古典落語しかやりませんと宣伝したら、少数の通の客しか寄席に足を運ばない。ところが古典落語の以外に漫才や手品、紙切りなどの“色物”もやりますと宣伝したら、“色物”目当てに客が入る。
しかしながら、寄席を最初から最後までじっくり楽しむと、一番すばらしかったのはやはり真打の古典落語だと納得して客は帰っていくのである。
古典落語はただ笑えるだけでなく、独特の格調の高さがあり、江戸時代から連綿と続いている理由がここにある。

一方、WWEのプロレスもこれに似ている。因縁の対決といった話題作りやギミックやディーバといった“色物”が多いのもWWEの特徴だが、マクマホンが本当に観客に見せたいのは“色物”ではなく“本物のプロレス”なのである。
では“本物のプロレス”とは何か。ガチンコ勝負でないのに“本物”はあり得るのか。
プロレスではスープレックスで相手を投げる選手も投げられる選手も訓練を積んだプロでなければ怪我をしてしまう。その訓練の成果が“本物のプロレス”なのだ。
レッスルマニアをすべて観終わった後の感想は、ギミックも面白いが一番エキサイトしたのはプロレスそのものだったというのが、多くの観客の意見だろう。

ところでここまでプロレスはすべて八百長というように述べたが、実は部分的にガチンコ勝負も紛れ込んでいるようなのだ。たとえば試合の勝者が最初から決まっている場合でも、途中経過でなんらかのガチンコ勝負をやっている場合もある。
相撲やボクシングは、「これはガチです」と観客に約束しているので、八百長やイカサマの判定勝ちが露呈すると、騒ぎになる。
一方、プロレスは、「これはヤオです」と説明済の上で試合を見せ、その中にひそかにガチが混じっていたりする。そしてどれがガチでどれがヤオなのかは最後まで観客にはわからない。「秘すれば花」ということなのだろう。
私が長年プロレスおたくであり続けているのは、こういうところに魅力を感じているからなのだと思う。

2011年1月1日土曜日

ケイナー射手座 2011.Jan

目を閉じ、耳をふさいだところで、トラブルから逃げられるわけではありません。トラブルがやってくるたびに問題をすり替えれば、トラブルが避けられるというわけではありません。あなたはトラブルを直視し、取扱い、何かをしなくてはなりません。あなたに必要な行動方針は何でしょうか?それはおかしなことです。あなたがしり込みするほど、あなたの試練は大きくなっていきます。
ストレスに満ちた気分で2011年が始まります。あなたは込み入った決心や勇敢な犠牲が必要だと思っています。
でも射手座の金星は、あなたがやるべきことをやるほど、ストレスは減っていくことを示唆しています。1月、あなたは繁栄します。