2018年12月2日日曜日

旧2ちゃんねる 鮫島事件の真相について

 ミクシーで2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の”鮫島事件”についてニュースになりました。
 大昔の話で何をいまさら、と思うのですが、公式には鮫島事件は存在していない事件ということになっているようです。ミクシーでもウィキペディアでもそうなっています。
 鮫島事件および2ちゃんねるが流行っていたころ、ウィキペディアで調べたら、後で説明する「痛い、痛い、擦りむいた」の解説が出ていました。いつの間にかウィキペディアも書き換えられたものと思われます。
 鮫島事件の真相は何か。以下、個人的見解を述べます。

1.鮫島事件=小泉事件

 鮫島事件が2ちゃんねるで流行ったころ、日本は小泉政権下でした。
 首相、小泉純一郎氏の過去のスキャンダルが鮫島事件だとすると、すべてはすっきり説明できます。
 現職の内閣総理大臣のトップシークレットを知った者は権力側から抹殺されるのでは。こうした推測から、「鮫島事件には触れるな」といった言い方が2ちゃんねるで流行ったのだと思われます。

 小泉純一郎氏が慶応大学の学生時代、芸者とエッチしてる最中に絞殺してしまいました。小泉氏にはサド的な性癖があったようです。
 普通なら殺人罪になるところが、当時、小泉氏の父親が防衛庁長官。裁判では小泉氏が精神病を患っていたということで無罪になり、松沢病院に1か月入院し、その後、イギリスに留学しました。
 この裁判を担当した裁判長が、小泉氏の叔父さんにあたる鮫島氏。だから鮫島事件なのです。
 おそらくこれが鮫島事件の真相でしょう。


2.「痛い、痛い、擦りむいた」事件

 さて、上記の鮫島事件の真相を隠すべく、政府から2ちゃんねる運営局に何らかの圧力がかかったのではないでしょうか。
 ネットで話題の鮫島事件を小泉氏のスキャンダルとは別の事件にすり替える方法はないか。そこで選ばれたのが2ちゃんねるのスレ「痛い、痛い、擦りむいた」だったのです。

 ところで「ケツ毛バーガー事件」を覚えているでしょうか。
 ミクシーが台頭し、2ちゃんねるに替わって日本のSNSのトップになろうとするタイミングで起きた事件です。今から思えば2ちゃんねる運営局がミクシーを貶めるために企画した”やらせ”事件だったのでは、と推測します。

 同様に過去に”あめぞう”というBBSがあり、2ちゃんねるがあめぞうにとって替わろうとしたとき、片方がもう片方を攻撃する目的で起きた”やらせ”事件。それが「痛い、痛い、擦りむいた」のスレです。

 「痛い、痛い、擦りむいた」というスレでは、最初、二人の若い男性がひょんなことからスレ上でけんかになります。そのうちに実際に会って決闘しようということになり、場所と日時を決めます。
 記憶は曖昧ですが、柏駅か新松戸駅あたりの駅前ロータリーが決闘の場所だったのではないかと思います。
 そして決闘の日時になると複数のスレの住民たちが、駅前ロータリーが見渡せる喫茶店にノートPCを持ち込んでスタンバイ。決闘の様子を2ちゃんねるで実況中継します。
 二人のうち片方だけが刃物を持った四、五人の仲間を連れてきます。多勢に無勢で一人だけの方が簡単にやられて死んでしまいます。
 それを逐一細かく実況するのですが、警察に通報すべきでは、という良識派の書き込みがそれに混ざります。

 当時、”電車男”で一世を風靡した2ちゃんねる。おそらくプロ作家がスレ形式で書いた小説だと思いますが、この「痛い、痛い、擦りむいた」というスレも、つまらないホラー小説よりもはるかによくできた読み物です。読んでいて読者を飽きさせずにぐいぐい引き込む筆致は、とても2ちゃんねるの普通のスレとは思えません。おそらく放送作家の見習いあたりに書かせたのではないでしょうか。

 このスレ小説の内容を実際に起きたものとして鮫島事件にすり替えようと2ちゃんねる運営局は画策したのだと思いますが、いかんせん、なぜこれが”鮫島”なのかが釈然としません。


3.無人島の鮫島の白骨死体

 そこで登場したのが無人島鮫島のスレです。
 鮫島という無人島に四、五人の2ちゃんねらーが冒険に出かけたところ、白骨死体を発見した。そのまま自分たちも遭難して白骨死体になってしまう、という設定のスレです。
 これなら確かに”鮫島”事件ですが、「痛い、痛い、擦りむいた」にくらべるとスレ小説に迫力がありません。
 あらすじ自体は怖いストーリーですが、文章に緊迫感がなく、なぜこれが大騒ぎするほどの鮫島事件なのかが、読者側から理解できません。
 しかしながら、現在ではこれが公式的には一番世に知られた鮫島事件にされているようです。

                                  (了)






2018年7月14日土曜日

青空文庫 2018年1月11日公開 李箱の詩について

 2018年1月11日、青空文庫に李箱(イ・サン)の詩が複数公開されました。

 これまで李箱の存在は知らなかったのですが、韓国では有名な詩人、小説家とのこと。

 本来、韓国語で作品を書いているようですが、今回公開されたのはすべて日本語で書かれた作品です。

 一読した感想は、一言で言って、”抑制のきいた上質の前衛文学”といったところです。

 ここで教科書的な解説です。
 フランス文学史では前衛文学のムーヴメントは2回あります。1回目は19世紀末から20世紀初頭のアポリネールを中心とするシュールレアリズムやダダイズムのムーヴメント。2回目は戦後、サルトルおよびそれ以降のヌーボロマンのムーヴメント。
 一方、アメリカ文学では戦後、バロウズなどのビートゼネレーションのムーヴメントがあります。

 このうちフランス文学のシュールレアリズムとアメリカ文学のビートゼネレーションはいずれも文学というより、絵画、造形、音楽といった”非文学”のアーティストたちのムーヴメントで、その中にたまたま詩人が紛れ込んで前衛文学を発表しました。このため、これまでの文学の常識を逸脱した表現が特徴的と言えます。

 一方、ヌーボロマンは文学を構造的に分析、研究した上で前衛を試みた、コテコテの活字メディアの前衛文学でした。
 80年代のマルケスやボルヘスらの前衛ラテン文学は、どちらかと言えばこのヌーボロマンの系譜につながるものでしょう。

 李箱は前者、つまりアポリネールやバロウズたちが試みた前衛文学に分類できると思います。つまり、前衛アートとしての文学です。
 時代的にも戦前の詩人ですので、李箱自身もダダイズムを意識的に目指していたのかもしれません。

 学生時代、現代詩手帖を購読し、寺山修司のアングラ芝居や実験映画にたしなみ、安部公房の前衛小説を読み、70年代のブリティッシュプログレを聴きまくり、エッシャーの展覧会に足を運び、さらにはカルトムービーのメッカ、四谷のイメージフォーラムの常連だった私は、筋金入りの前衛芸術オタクです。

 その私から言わせれば、バブル時代にもてはやされた現代詩にくらべ、李箱の詩はいい意味で抑制がきいているように思えるのです。
 完成度の高い前衛文学、というのとは少し違いますが、現代詩の悪い意味での支離滅裂やカオスがなく、虚無的または厭世的な基調低音で作品がまとめられています。
 
 今回、公開された作品の中で一番注目したのは「AU MAGASIN DE NOUVEAUTES」でしょうか。
 フランス語で「新しいお店にて」といった意味になるようです。詩は日本語で書かれますが、随所に中国語の単語が出てきます。
 母国語が韓国語の李箱にとり、タイトルのフランス語も本文の日本語や中国語も外国語のはずです。
 もしかしたら李箱は意図的に多国籍言語で作品を書いたのかもしれません。
 作品を一貫して流れるトートロジー的表現もまた、言語を超越したところにある詩を目指していたのかもしれません。

 李箱の詩を私は完全には理解していませんが、無意識のレベルで漠然と”好感”を持ちました。
 日帝植民地時代の朝鮮に生きた李白。政治的抑圧感や反体制的メッセージをそこに読むことはできるでしょうが、前衛文学を志す以上、作者の関心は半分以上、文学上の方法論にあったのではないかと想像します。

2018年6月10日日曜日

トロン陰謀論について

 さて、数年前、リチャード・コシミズ氏のブログに「トロン陰謀論」について情報を持っている人の意見を募集していました。
 日航機123便にトロン関係の技術者が搭乗していて、PC市場でのトロンの普及を阻止すべく、米国が無人機を衝突させて123便を墜落させたのでは、という仮説です。
 私自身、陰謀論に関する情報は何も持っていないので、そのときは回答できませんでしたが、とりあえず知っている情報だけをまとめて意見を述べてみようと思います。

 まず「トロン陰謀論」の結論からすると以下の通りです。

①トロンが国内市場または世界市場でPCの標準OSにならないよう、米国が政治的圧力をかけた?
②日航機123便墜落以降、結果的にトロンは衰退した?
③日航機123便にトロン関係の技術者が搭乗していた?

①はYES、②はNo、③はわかりません。これが私の回答です。


1. 米国の政治的圧力とトロン

 まず①についてですが、これは陰謀論でもなんでもなく、私が90年代初めに読んだ市販の本に書いてありました。それも政治や陰謀論の本ではなく、PC業界のビジネス書です。
 日米半導体協定のときに、米国商務省としてはユニックスをコンピュータの世界標準OSにしたいため、その対抗馬となる日本のトロンを普及させないよう政治的圧力をかけたとのこと。
 そのビジネス書には前書きか第一章にさりげなく簡潔にそう書いてあっただけで、それ以降はユニックスの技術的な特徴について解説していました。
 ここで注目すべきは米国政府はウインドウズでなくユニックスを標準OSと予想していたことです。
 当時、ユニックスはIBM社とサンマイクロシステムズ社の二大陣営に派閥が分かれており、いずれかのユニックスがコンピュータの標準OSになると誰もが考えていました。ところがマイクロソフト社がウインドウズNTを開発すると状況が一転、IBM社とサンマイクロシステムズ社は対立を解消しましたが、時すでに遅し。マイクロソフト社のウインドウズがOSのデファクトスタンダードになってしましました。
 私がここで主張したいのは、ITやエレクトロニクスのデファクトスタンダードは日本対米国といった国家間だけでなく、民間企業間の対立や、さらには官対民の確執もあるということです。


2. μITRONの活躍

 次に②ですが、トロンが世間で最も騒がれた時期はいつでしょうか。私の記憶では日航機墜落の数年後だったと思います。
 日航機墜落は1985年。その二年後に1987年だったと思いますが週刊朝日でトロン特集をやっていました。技術用語であるトロンが一般マスコミの週刊朝日に取り上げられたのです。私の記憶ではこのあたりが一般マスコミのトロンブームのピークです。
 一般マスコミのトロンブームは90年くらいにはすでに消滅していたと思います。しかし業界内のトロンの普及はこのあたりから始動します。

 実はトロンはもともと組み込みOSです(当時はリアルタイムOSという呼び方が一般的だったでしょうか)。
 それが当時の通産省(現在の経済産業省)の思惑で本来の組み込みOSをIトロンとし、ビジネス向けのBトロンや通信向けのCトロンなど、トロンの概念を無理やり拡張し、国産OSのトロンであらゆるジャンルを網羅しようとしたのです。
 Iトロン以外のトロンは時間がたつごとに自動消滅した感がありますが、肝心のIトロンは一般マスコミがトロンを報じなくなってから、組み込みマイコン市場で躍進したのです。
 
 μITRON2.0準拠という記述を私はいたるところで目にした気がします。
 国内メーカーのセットトップボックスをはじめ、32ビットマイコンのリアルタイムOSとしてトロンはシェアを広げました。
 90年代、トロンはリアルタイムOS分野では世界市場でPSOS、Wind riverに次いで三番目で15~20%前後、国内市場では80%のトップシェアでいわゆる内弁慶型でした。PCではウインドウズがガリバー型寡占でシェアを独占していますが、リアルタイムOS市場は小党分立で、上記ベスト3以降は、様々な無数のOSが群雄割拠している状態でした。
 トロンはハイエンドのTカーネル、ローエンドのトッパーズというふうに大別され、いずれも国内電機メーカーには積極的に採用されました。

ネットでは日航機123便にトロン関連技術者が17人乗っていたという記述を複数個所から目にします。私にはその真偽はわかりません。しかしながら、トロンの真の全盛期は日航機墜落から10年たった90年代だと言えることはまちがいありません。
 

3. 8ビット、16ビット向けトロンの開発を

 しかしながら組み込みリナックスの発展で、今日ではトロンは衰退しました。
 ここからは私個人の提案ですが、32ビットでなく、8ビットや16ビットのマイコン向けにトロンを改良するのはどうでしょうか。
 トッパーズは組み込みプログラマから見ればOSというより、C言語のライブラリです。
 スマホが普及し、32ビットARMが普及した昨今、組み込みOSもアンドロイドやiOSのようなPC向けOSに近いものであることが求められ、トロンは時代遅れになりました。
 しかしながら、8ビットや16ビットマイコンの用途はたくさんありますし、特に16ビットDSPは、32ビットARMと比べ、処理能力的に大きく負けているわけではありません。

 国産マイコンに軒並みトロンをポーティングし、国内中小零細メーカーが容易に製品を開発できるよう、支援するのはどうでしょうか。
 

2018年4月5日木曜日

プロ文芸評論家不要論

 ネットサーフィンすると、評論家不要論が目立ちます。
 ネットで普通の人が不特定多数の大衆に自由に発言できるようになった今日、あえて専門家の意見だけを特別扱して拝聴する必要があるのか。こういう意見がネット上に散見します。
 もちろんこれとは真逆の意見、すなわち、無知な一般大衆が評論家気取りで素人意見を述べるのは言語道断だ、といった主張もあります。ただこうした評論家擁護論はネット上では少数派のようです。

 政治評論家、音楽評論家、映画評論家、ラノベ評論家はそれぞれ不要といった不要論を私はこれまでネット上に見つけました。
 しかしながら、文芸評論家に関しては唯一、擁護する意見の方が根強いようです。同じ小説でもラノベは評論家不要で、一般小説だけ評論家が必要なのでしょうか。


1.アマゾンの消費者行動にみる文芸評論家の立ち位置

 アマゾンなどネットで書籍を購入する場合、すでにその本を読んだ人の書評を読むことができます。私たちがその本を購入するかどうかを決めるのに、こうした書評が参考になることがあります。
 ところでアマゾンの書評を書いているのは誰でしょうか。一般にプロの評論家でなく、私たちと同じアマチュアの読者と言っていいでしょう。
 同じ書籍でも特に小説の場合、一般消費者目線の感想の方が、専門家の見解より自分にはしっくりくる。そう思う人が多数派なのではないでしょうか。
 プロの文芸評論家は普通の人より、様々な文芸作品を多読し、難解な哲学書や原書を理解し、海外留学など高い学歴を持っているかもしれないが、彼らと同じくらい見識を積まなければ彼らの境地に至るのは不可能だろうし、むしろ自分と等身大の人が面白いと思う小説が、単純に、自分が読んでも面白いのではないか。
 アマゾンで小説を買う際、一般消費者がこうした考えで消費行動を起こしているとしたら、やはりプロ文芸評論家は不要ということになります。


2.文壇内の文芸評論家不要論

 ネットで発見したのですが、保坂和志、高橋源一郎の両氏が文芸雑誌で文芸評論家不要論を唱えたとのこと。自分で小説を書いてない評論家は、小説を評論する資格がない、というようなことを述べたようです。
 両氏とも小説家兼評論家ですので、自分たちは評論する資格があるという意味なのでしょうか。
 いずれにせよ、文壇内からこうした意見が出てくるのは興味深いと思います。
 これに対し、既存の文芸評論家から反論もあったようです。
 また例によって、この業界特有の”言葉遊び”的なわけのわからない議論の応酬が、相も変わらず両者の間でなされたのではないかと想像します。
 
 私自身は文壇において文芸評論家が不要なのかどうかわかりません。ただし、文芸評論家に対して昔から物申したいことが一つあります。


2.よい文章のドグマは三種類?

 ところでよい文章とは何でしょうか。実は業界ごとによい文章、悪い文章の基準が異なるように思えます。私が知るかぎり以下の三種類の文章ドグマがあるように思えるのです。

①文学・哲学の文章ドグマ
 頭がいい筆者ほど語彙力が豊富なので難しい文章が書ける。難しい文章を読んで意味がわからない読者は頭が悪い。言葉は数学の記号と違い、抽象的で曖昧な概念を持つが、この言葉の性質を極力生かして文章を書くべき。
 
②法律・省令・公文書の文章ドグマ
 よい文章とは決められた表記と表現を用い、言葉の持つ曖昧さを極力排除した論理的かつ客観的文章を指す。したがって読者が正しく文章を理解すれば、数学の問題を正しく理解するのと同様、ほぼ完全に一致した内容を取得できる。ただしこれらの文章は、世間一般の平均的知能の持ち主には理解できない難解さがある。

③ビジネス・世間一般の文章ドグマ
 わかりやすい文章ほどよい文章。わかりにくい文章は悪い文章。頭のいい筆者ほど難しい概念をわかりやすく簡潔に表現できる。逆にわかりにくい文章しか書けない筆者は頭が悪い。

 どのドグマが正しいか、一概には言えません。
 文芸評論家は①のドグマを信奉して文章を書きます。小説でも詩歌でも言葉の持つ曖昧さを武器に芸術作品を作るわけですから、創作の文章を書く際、①でなければ成立しないジャンルですが、評論までこれと同じでなければならないのでしょうか。
 彼らはなぜ②または③のドグマで文章を書かないのでしょうか。

 80年代末のことですが、小林秀雄が亡くなったとき、朝日新聞の書評で、小林秀雄の評論はこれからも作品として価値を持つといったことが書かれていました。 
 評論が作品? 何かトートロジーのような気がします。
 ここからは私の解釈ですが、これは小林秀雄の文章が難解であることを短所でなく、長所として捉えた追悼文だったのではないかと思います。

 世の中にはスタニスワム・レムの『完全な真空』や筒井康隆の『文学部唯野教授』といった作品があります。評論のスタイルをとった小説です。
 もし作品としての価値を持たせたいなら、評論ではなくこうした作品を書くべきではないでしょうか。
 思想書や哲学書はともかく、純粋な評論はあくまで小説という対象に対して書かれるべきものだからです。
 こうした理由から、私は②または③、特に③のわかりやすい文章で書かれた文芸評論がもっと世に出てきてほしい、と考えています。


3.文芸評論もアマチュアリズムで

 私の結論としては、プロの文芸評論家はもっとわかりやすい文章で書いてほしいと思いますし、文芸評論の書籍が一般に売れないのは、何が書いてあるかわからないからだと思います。
 その一方で、アマチュアの評論は何を書いても自由です。
 ただし読者の方では、これはあくまで素人意見で、まちがっているかもしれないと疑いながらアマゾンの書評を読む必要があるでしょう。


2018年3月24日土曜日

『日本左釿門がゆく!』梗概


 八代将軍吉宗の治世下、天下の大泥棒、日本左衛門が江戸を中心に諸国を荒らし回っていた。
 この日本左衛門、実は浜島庄兵衛という人形浄瑠璃〈白波座〉の旅芸人(傀儡)だった。また日本左衛門一家の一味も〈白波座〉の面々だったのである。
 本編は〈白波座〉が江戸・日本橋を出発し、表向きは人形浄瑠璃を興行しながら、東海道の宿場町を回り、京に至るまでを描いたオムニバス形式の物語である。

第一幕 日本橋 〈白波座〉が東海道沿いの道端で人形浄瑠璃の興行をしていると両替商〈沢村屋〉の主人喜平が今晩、自分の屋敷に来て芝居をすれば蔵屋敷に泊めてやると誘う。座長オセンノオバは二つ返事で了承する。
 夜になると庄兵衛たちは〈沢村屋〉に盗みに入る。鎖釜の幸吉など店の用心棒たちと死闘の末、千両箱を盗み出す。用心棒と格闘しているときに行灯が倒れ、屋敷が火事になる。庄兵衛たちは目明かしに追われながら、日本橋川の伝馬船に乗り込み、江戸を後にする。

第二幕 平壌
 庄兵衛はある日、一人で旗本・青木又衛門の屋敷に忍び込む。屋敷にある
高価な茶壷を盗むためである。ところが屋敷にはお京という女が夫の仇討ちのため忍び込んでおり、又衛門だちと戦っている。
 庄兵衛の助太刀も加わりお京の仇討ちは成功し、庄兵衛は茶壷を盗む。一旦二人はそこで別れる。だが平塚の旅籠で二人は偶然再会し、男と女の関係になる。
 一方、又右衛門が斬られ、茶壷が盗まれたことを尾張藩の忍者セブリが嗅ぎつける。この茶壷はもともと尾張藩主、徳川宗春が又右衛門に与え、その見返りに公金横領を企んだ経緯があった。この秘密を二人が知ったかもしれない。そこで宗春はセブリに二人を殺すよう命じる。
 セブリは旅籠で庄兵衛に襲いかかり背後から首をしめるが菊之助か例の茶壷でセブリの頭を割り、窮地を救う。セブリは頭を抱えて逃げ出す。
 かくしてお京は〈白波座〉に加わり、庄兵衛だちと旅をする。

第三幕 小田原
 宗春とセブリはし小田原藩の家宝、顔真卿の書を盗み出し、しかも盗んだ賊が日本左衛門に見せかける工作を企む。
 セブリの手下、ウエツフミが日本左衛門に化けて小田原城に侵入し、顔真卿の書を盗む。藩主、大久保忠興は城の門をすべて閉じ、ウエツフミを出られなくしてしまう。
 実は小田原に人形浄瑠璃の興行に来ていた庄兵衛たちは人相書きから日本左衛門と疑われ、小田原城の土牢にすでに捕まっていたのである。ウエツフミ扮する日本左衛門が現れたことで庄兵衛たちの容疑は晴れて釈放され、お詫びとして忠興は馬を与える。
 事情をすべて聞き、まだウエツフミが城内に潜伏していると推理した庄兵衛たちは、池の中にいたウエツフミを見つける。小田原城の天守閣の屋根に逃げたウエツフミを庄兵衛は追いかけ、屋根の上で格闘して倒す。庄兵衛はウエツフミの懐に顔真卿の書を見つけ、こっそり盗む。庄兵衛たちは小田原城を出る。

第四幕 箱根・Ξ畠
 忠興は庄兵衛こそ本物の日本左衛門で、彼が顔真卿の書を最終的に手に入れたことに気づき、箱根の関所に厳戒体勢を命じる。日本左衛門にここを通過させないためである。庄兵衛たちは馬を使って突進し、関所破りを強行する。ちょうど関所の上方口では長崎奉行所の役人たちが一頭の象を連れてきていた。将軍吉宗にこの珍獣を献上するためである。庄兵衛たちの馬を見て興奮した象は暴れだし、関所内はパニックになる。このどさくさにまぎれ、庄兵衛たちは関所を越えるが、仲間の赤星が関所の役人に斬られ、お凛が背中に傷を追う。
 庄兵衛が関所を突破したことを知ったセブリは手下でシャム双生児の少年忍者、ユマル・ソマルを刺客に送り込む。三島の木賃宿に着いた〈白波座〉は早速、人形浄瑠璃の興行に出かけるが、怪我をしたお凛と庄兵衛の二人が留守番する。そこをユマルーツマルが襲いかかる。庄兵衛の背後からユマル・ソマルが首を締めるとお凛は庄兵衛の銀太刀でこの少年忍者に斬りつける。血だらけのユマル・ソマルは千枚通しでお凛の胸を刺し、逃げる。
だがユマル・ソマルは逃げている途中、お凛は庄兵衛の膝の中でそれぞれ命を落とす。

第五幕 島田・金谷
 島田で神通力を使う羽黒修験者、南郷力丸が〈白波座〉に入る。大井川を越え、金谷に着くと庄兵衛が一計を案じる。まず呉服屋〈松屋〉に客のふりをして庄兵衛と南郷が現れ、店の番頭に言いがかりをつけ、金を脅しとろうとする。すると菊之助たちが入ってきて庄兵衛と南郷を追い出す。すっかり店の主人、松村幸兵に気に入られた菊之助は他の〈白波座〉の面々とともに今夜は〈松屋〉に泊まることになる。
 ところが幸兵と夕飯を食べ、話をしているうちに菊之助は幸兵が自分の実の父であることに気づく。昔、赤子の菊之助を幸兵が近所の神社に捨てたところオセンノオバが拾い、〈白波座〉で育てたのである。
 居酒屋で夜になるまで時間を潰していた庄兵衛と南郷が〈松屋〉にやってくる。示し合わせでは屋敷に泊まった菊之助か金目のものを持ち出し、朝になる前にみんなでずらかる手はずになっていた。だが菊之助は何も盗まずに〈松屋〉を後にする。

第六幕 宮
 〈白波座〉の人形からくり師、忠信利平が尾張で評判になり、宗春に名古屋城に呼ばれる。忠信はからくり人形を披露し、最後に等身大の男女兼用お契り人形、菊丸を見せ、宗春に献上する。実はこの菊丸は菊之助か人形に変装したものだった。倉庫に連れて行かれた菊之助か城内の大判小判を盗んでいる間、大凧に乗った庄兵衛とお京が天守閣の屋根から名古屋城に忍び込む。セブリをはじめ、城内の侍たちをやっつけた庄兵衛とお京は金を盗んだ菊之助を連れ、再び大凧で空を飛ぶ。最後に天守閣の金の鯱も盗み、凧にぶら下げる。大判小判は行李に入れ、凧に吊したが、行李に穴が開いていたので凧が空をとんでいる間、中のものがこぼれ落ちる。宮宿の町人たちは空から大判小判が降ってきたので大喜びする。

第七幕 京
 江戸の大泥棒が日本左衛門なら上方の大泥棒は七福神盗賊だった。京に着いた庄兵衛たちの前に、ビシヤモンを頭とする七福神盗賊が現れる。明後日、薩摩藩の大名行列が三条大橋を通るが数千両の金を持ち歩いているはずなので、一緒に協力して強奪しようという話だった。庄兵衛は二つ返事で了承した。かくして二日後、大名行列を襲いかかった日本左衛門と七福神盗賊は金紋箱四合を盗み出した。
 金紋箱四合のうち二合を庄兵衛たちがもらう約束だったがビシヤモンたちは一合だけ渡し、伝馬船で高野川を北上する。怒った南郷が伝馬船に近づくとビシヤモンは槍で南郷を殺す。庄兵衛たちは鉄砲を撃って伝馬船の船底に穴を開ける。ビシャモンと庄兵衛は川に飛び込む。水中で格闘の末、庄兵衛はビシヤモンを倒す。
 〈白波座〉は京を立ち、今度はまた江戸に向かって東海道を歩いていく。オセンノオバはとうに亡くなった夫の三郎兵衛爺さんの夢を見、お凛、赤星、南郷ら死んだ仲間に思いを馳せ、涙する。


2018年3月4日日曜日

BF vs RK vs さゆ 陰謀論者が説く世界の未来と日本の未来

 さて、平昌オリンピックも終わり、裏社会の変革待ったなし。
 これから世界と日本はどうなるのか。

1.朝鮮半島統一か、米朝戦争勃発か
 ベンジャミン・フルフォード(以下、BF)によると、北朝鮮と大韓民国は統一するという。北朝鮮のキム家が世襲にして国家元首の天皇になるとのこと。
 一方、リチャード・コシミズ(以下、RK)によると、米国が北朝鮮にミサイルを撃ち込むという。
 果たしてどちらの予言が正しいのか。
 これは小生の直感だが、BFの方が当たりそうな感じがする。あるいはしばらくの間、何も変化が起きないという可能性も大きいと思う。
 
 BFはただのジャーナリストでなく、白龍会主催であり、裏社会、権力中枢の中の人、という感がある。かつてデイビット・ロックフェラーと握手し、二人で個室に入り、取材している動画もユーチューブにアップされた。
 朝鮮半島統一後、BFはどうやら日本と朝鮮半島を統一させたがっているようだ。キム・ジョンウンが独身なので、日本の皇室から嫁をもらい、両家を合体させ、日本と半島の両方の天皇を同一人物にさせたい、というのがBFの目論見のようだ。
 こうした皇室関係のBFのアイデアは、中丸薫との人脈から出てきたのではないか。もしかしたら昨今の眞子様と小室圭氏との婚約延期ニュースも、眞子様をキム・ジョンウンに嫁がせる布石か。そんなふうに邪推してしまう。

2.世襲王朝は二つとも廃止が理想か
 南北朝鮮半島を統一し、かつ日本もそれに統合するという考えに自分は賛成だ。大日本帝国時代、これらの地域は一つの国だった。もっと言えば、台湾や南方諸島も日本だったのだ。 
 しかしながら、BFは北朝鮮のキム王朝と日本の天皇家を統合して存続させようと考えている。この考えには反対だ。
 ドイツは東の大統領を国家元首、西の首相を実質的な行政のリーダーにして統合した。西ドイツがコール首相の時代である。
 同様に、半島と列島統一後は大韓民国の大統領を国家元首に、日本の首相を行政のリーダーにして統合し、日本の福島か新潟あたりを首都にしてはどうか、と自分は考える。
 世襲である北朝鮮のキム王朝と日本の天皇家はこの機会に廃止してどうか。世襲の国家元首という特権階級の存在自体が民主主義の理念に反するし、人民から見て特権階級は極めて危険な存在になり得るからだ。
 ただし自分は現行の安倍政権は支持しない。一刻も早く安倍政権が終わり、別の内閣が生まれてから、半島と列島は統一するのが望ましいと思う。

 このような理由でBFの予想より、RKの予想、つまりトランプ米国大統領が北朝鮮政府を武力で滅ぼし、大韓民国が朝鮮半島を統一するというシナリオの方が、自分としては望ましい。キム王朝がそのまま自動的に消滅するからだ。
 一方、RKは日本の天皇制存続を支持している。ここが自分とは考えが異なる点だ。
 
3.精彩を欠く、さゆの現在
 ところで、もう一人の陰謀論系ブロガー、さゆふらっとまうんど(以下、さゆ)はどうか。
 RKに反旗を翻し、”輿水恵一”問題でRKを追及するところまでは大活躍だが、その後、精彩を欠いているように自分には思われる。
 RKを天皇派の勢力に取り込まれたと主張するさゆだが、さゆ自身は天皇批判をしているわけでもない。もう少し徹底した天皇批判をしてほしい。
 ”性の喜びおじさん”関連ニュース、見知らぬ子供に挨拶するSHA運動など、独自のテーマを追求するのはいいが、現在の国際情勢、政治経済情勢について、もう少し言及してほしい気がする。

 RKはさゆを統一教会など裏社会癒着系のブロガーとし、RKを貶め、独立党を分断・弱体化させることがさゆの目的だと説くが、最近のさゆの活動を見ると、そんなふうにも思えてくる。

4.未解決の不正選挙と”輿水恵一”問題
 では一方的にRKがさゆに勝利したのかと言うと、これも微妙。
 さゆによれば、不正選挙は総務省の仕業だという。総務省が実際の得票を無視して、あらかじめ用意していた偽の開票結果にすれかえれば、いくらでも不正選挙は可能になる。また総務省の選管に影響力を持っているのが公明党の衆議院議員、輿水恵一氏だという。この人物はRKの実家周辺の出身者で同姓であることから、親戚と思われる。親戚に不正選挙を実行できる人がいるということは、RKは裏社会に取り込まれているのではないか。これがさゆの仮説である。
 自分がネットを探してみるかぎり、さゆの仮説を覆す論拠はまだ発見していない(このへんの事情をご存じの方、コメントなどで教えてください)。

5.BFの後ろ盾は本当に正義の味方か?
 ところでBFの話を聞いていると、軍産複合体の軍、つまり米国軍(海兵隊)が正義の味方で、バザール・マフィア、サバタイ派マフィアが悪者という論調だ。
 これは権力中枢で派閥争いが起きているだけの気がする。果たしてBFの後ろ盾であるとされる米国海兵隊は、本当に日本の人民の味方になってくれるのか。ただ単に権力奪取後は、これまで同様、日本を気象兵器で攻撃したり、不正選挙で自分たちの傀儡を日本の政治家に据えるだけではないのか。
 そもそもBFがヤクザの親分、朝堂院大覚と親しいこと自身、あまり感心しない。
 
6.誰を信じればいいのか?
 上記のような理由から、BF、RK、さゆ。どの陰謀論系ブロガーも、真っ白というより、灰色の側面を持っている。
 BFはディープステートの中の人、RKは輿水恵一問題疑惑、さゆは国際政治情勢のジャーナリズムにほとんど取り組まない。
 では一体、誰を信じるべきなのか?
 一つだけ言えるのは、誰かを妄信するのでなく、すべての記事を自分の頭で考え、吟味することだ。これは表のジャーナリズムにも言える。
 マスコミから発信されるあらゆる情報には、真実と嘘が混在している。どれが真実でどれが嘘かは容易にはわからない。それを自らの見識で分類する知性が必要なのだ。
 これからの時代、ネットによる情報収集もさることながら、情報の真偽を見極める知性がそれにもまして重要になってくると思われる。


 

2018年3月2日金曜日

自選 ベスト映画20



1. ミツバチのささやき (西)
2. パリ、テキサス(独+仏)
3. 鉄男(日)
4. タイタニック(米)
5. デリカテッセン(仏)
6 電車男(日)
7. ロボット(印)
8. 神々の黄昏(伊)
9. ワンス・アポン・ア・タイム イン アメリカ (米)
10. ナイト・ウォッチ(露)
11. 千と千尋の神隠し(日)
12. ヴィドック (仏) 
13. レミーのおいしいレストラン(米)
14. 青い体験 (伊)
15. ブレードランナー(米)
16. Uボート(独)
17. 田園に死す(日)
18. 氷の微笑(米)
19. 少林寺(中)
20. ガメラ3邪神覚醒(日)